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歴史

当社はこの東本庄館跡の南西200mほどの所に鎮座している。
社伝によれば、当社は治承四年1180 武蔵守維行六世孫荘太郎家長が東本庄に館を構えた際、鎮守として勧請したことに始まる。天正十八年1590に、本荘氏に代わって小笠原掃部太夫信嶺が本庄域主になった時に、旧領主が勧請した社であるとの理由から当社を最も崇敬し、現在の社地に社殿を建立して奉遷すると共に、その庄名を冠して若泉稲荷神社と称するようになった。その後、慶長十七年1612に小笠原左衛門尉信之が社殿を営繕し、降って元禄十五年1702、氏子及び信徒が修繕を行った折には、大平・柴村・加藤・野呂・花房の地頭諸氏から寄附があった。また、旧本庄城主の祖が祀った社との縁から、明和七年1770と天明六年1786の修繕の際には、本庄町から彫物などの寄進があった。

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名称若泉稲荷神社

詳細情報

ご由緒

当社はこの東本庄館跡の南西200mほどの所に鎮座している。
社伝によれば、当社は治承四年1180 武蔵守維行六世孫荘太郎家長が東本庄に館を構えた際、鎮守として勧請したことに始まる。天正十八年1590に、本荘氏に代わって小笠原掃部太夫信嶺が本庄域主になった時に、旧領主が勧請した社であるとの理由から当社を最も崇敬し、現在の社地に社殿を建立して奉遷すると共に、その庄名を冠して若泉稲荷神社と称するようになった。その後、慶長十七年1612に小笠原左衛門尉信之が社殿を営繕し、降って元禄十五年1702、氏子及び信徒が修繕を行った折には、大平・柴村・加藤・野呂・花房の地頭諸氏から寄附があった。また、旧本庄城主の祖が祀った社との縁から、明和七年1770と天明六年1786の修繕の際には、本庄町から彫物などの寄進があった。

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