おおがいじんじゃ
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御朱印 | - | ||
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駐車場 | 鳥居手前に4台くらい停められる駐車場があります |
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【武蔵國 式内社巡り】
大我井神社(おおがい~)は、埼玉県熊谷市妻沼にある神社。式内論社で、旧社格は村社。祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。
創建は不詳。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 播羅郡 白髪神社」の論社となっており、他の論社としては白髪神社(熊谷市)がある。『妻沼聖天宮縁起』によると、平安時代末期の1179年に武蔵国幡羅郡長井庄(熊谷市)を拠点とした武将・斎藤実盛が当地・大井の杜に妻沼聖天宮を勧請したが、もともと当地にあった白髪神社は衰退していたため、伊邪那岐命、伊邪那美命の2柱を妻沼聖天宮に合祀したという。明治維新の神仏分離令により、二柱を妻沼聖天宮から分離し、鎮座地に因んで「大我井神社」と改称、境内に浅間大神を勧請し、その後村社に列し、妻沼の総鎮守とされた。
当社は、JR高崎線・籠原駅の北東8kmの、利根川南岸、妻沼聖天山歓喜院の門前町の中にある。境内は通りに面していないため分かりにくいが、境内は広く、草木が少なめで、社殿までの道のりは果樹園か公園か、人の家の庭を歩いている感覚。社殿は大きく立派。往古の氏子の力強さを感じる。
今回は、武蔵国の式内論社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後で、自分以外には参拝者はいなかった。
境内南端入口の<鳥居>。社号標は見当たらない。
鳥居をくぐる。塀や柵などがなく開放的。
参道右側にある境内社。
参道左側にある境内社。
人様の私邸の広大な庭を歩いている感じ。気持ちが良い。(o^―^o)
参道左側の<社務所>。人が住んでいそうな雰囲気だが無人。
参拝時、ちょうどモミジが色づき始めていた。
参道左手の石碑群。
参道右側の簡素な<手水舎>。
参道を進むと<神門>がある。
<拝殿>全景。屋根も躯体も新しそう。
<拝殿>正面。社名を記したシンプルな扁額。
拝殿後ろの<本殿>。こちらも見た目新しい。
社殿左手にある古墳のようなもの。
本殿後方からの<社殿>全景。
拝殿の斜め前から<社殿>全景。
帰り道。歩いて気持ちの良い境内。
大通りから奥まった場所にあり、目立たないのはもったいないかも...(^▽^)/
妻沼聖天山の東側、徒歩数分の所にある神社。
創建は妻沼聖天より古く、聖天勧請後は歓喜院と一体だったそうですが、例によって神仏分離令で独立した神社に。
延喜式内社、白髪神社に比定される論社の一つとのこと。
このように由緒も正しく、ご覧のように神社自体もわりと立派なんですが惜しむらくは無人社。
お祭りの時だけ賑わうそうです。
もうちょっとアピールすれば聖天山と合わせて参拝する人も増えそうなんだけど・・・本当もったいない(´・ω・`)
月は東に 日は西に
与謝蕪村歌碑とカエル
やせがえる 負けるな・・・そりゃ小林一茶か
立派な社務所もあるんだけど・・・
柵に囲まれた石碑
この神社、興味深いものはいろいろあるけど、案内板とかがほとんどなく由来がわかりません(´・ω・)
神門もあり
拝殿
横の通用門にも鳥居が付いてる
この方向に妻沼聖天があります
富士塚
お祭りの時には花火が仕掛けられるらしい
この神社にも線刻画があります
僧形の人物が描かれてる
「神霊」の上が欠けてますが、おそらく普寛霊神みたいな御嶽・修験系のものかと
本殿もなかなか立派なもの
大我井神社と妻沼聖天の間には、懐かしい感じのプラモデル屋がありましたw
ちなみに近くには釣具専門店もあり、その筋の趣味の人には有名なのか結構混んでた
妻沼は、こういう今はほとんど姿を消してしまった個人専門店がまだ多数残るレトロな町です
名称 | 大我井神社 |
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読み方 | おおがいじんじゃ |
通称 | 二柱様 |
詳細情報
ご祭神 | 《合》倉稲魂命,誉田別命,天照皇大神,速玉男命,事解男命,天穂日命,石凝姥命,菅原道真,《主》伊邪那岐命,伊邪那美命,《配》大己貴命 |
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