ながいじんじゃ
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長井神社の御朱印・御朱印帳
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御朱印帳 | - | ||
電話番号 | 048-588-2858(宮司宅) |
最新の御朱印・御朱印帳の投稿
事前の調べで大蛇退治の伝説のある神社と知ってちょっと興味を引かれたものの、まぁよくある田舎の無人社だろうと思い特に候補にも入れてなかったんですが(^^; 長慶寺を出てすぐナビ上にこの神社が出てきたので、これは呼ばれてるな(´-`)と思い寄ってみましたw
現地で由来とかを調べるためにネットを見たところ・・・え!?御朱印あるの!!( ; ロ)゚ ゚
なかなか面白い縁起を持つ神社です。
時は平安時代。
奥州で前九年の役が勃発。安部貞任の追討を命じられた源頼義は、武蔵国司の成田助高に援軍を頼むためこの地を訪れます。
当時この辺りには「龍海」という大きな池があって大蛇が住んでおり田畑を荒らし村人を悩ませていたため、村人たちは源氏の御曹司 源頼義に大蛇退治を訴えました。
頼義は、島田大五郎道竿という土豪に弓と帯刀を賜り大蛇退治に向かわせました。
道竿は日夜八幡神に祈り、村人達を指揮して、まず池から水を抜くため利根川に通じる道竿堀というのを掘削。 すると池から長さ四丈余りの大蛇が這い出てきた。
ミズヌクナゴルァ! ~>゜)~~~~~~
まず弓矢で大蛇の眉間を射ると、大蛇はますます猛り狂って道竿に襲いかかってきました!
ヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイ! シャー! ~>゜)~~~~~~
一旦馬で退却した道竿は、池から五町余り過ぎたころで再び矢を放ち、大蛇がひるんだところを刀で斬りかかり見事大蛇を退治。
ヽ(;´Д`)ノヤッタ! グェ! ~>*)~~~~~~
頼義は道竿を称え、また奥州征伐の門出に誠にめでたい吉事であるとしてこの地に八幡宮を勧請。 村人の訴えの書や道竿の弓矢を納め、道竿の子孫を代々の神官としました。 また大蛇の出た場所に弁財天を祀ったとのこと。
その後、一時期衰退したそうですが、室町時代に足利尊氏によって再興。
そして戦国時代には、70越えて少女を囲ったり、忍者よろしく樋から城に潜り込んで真剣白歯取りかました、あの忍城の凶悪絶倫ジジイ 成田長泰公にも信仰されたそうですwww
成田氏は源頼義の後裔らしいので、ご先祖所縁の神社ということで崇敬篤かったんでしょう。
この辺りは利根川の畔ということで昔から洪水に悩まされてたそうなので、大蛇退治伝説はおそらく治水の暗喩でしょう。
(長慶寺の秘仏のお薬師様も、洪水とその後に発生する疫病避けを願って祀られたものらしい)
まぁ昔の日本には実際にそういうモンスターが跋扈してたと考える方がはるかに胸熱ですがw
八幡社ですが、御利益とかを見るとかなり水神的性格が強いので、もともとここには土地神として蛇神が祀られていたが、源氏に連なる一族が入ってきて八幡社に置き換えられたのかもしれません。
ちなみに少し西の長慶寺に近くにも八幡大神社があり、そちらにも大蛇退治伝説が伝わってるそうです。
田舎の神社にこんな立派な絵入り朱印があるとは・・・(゚ロ゚;)
鳥居付近に駐車場なし
境内乗り付けで一旦戻ってきました(^^;
田舎の鎮守様ですが100mくらいの非常に長い参道あり
鳥居は「長井神社」ではなく「八幡宮」となっている
途中、右に境内社があったのでまずはここから拝みました
稲荷神社でした
中にはお稲荷さんと容貌魁偉な切り株が祀られてる
まだまだ続く参道(;´Д`)
長井神社って名前は伊達じゃないっすw
やっと境内に着きました
ご覧のように車はここに乗り付け
左側が宮司宅兼社務所
右にわりと大きい古札納め所
結構新しいブランコがありましたが、ここ遊ぶとめちゃくちゃ蚊に食われそうだな(^^;
安産・血の道など婦人病に御利益ありのためか神功皇后こと息長帯姫も主宰神とされてますね
八幡宮ですが、やはり弁財天=大蛇の水神的性格が強い神社の様子
入り口近くにあった新しい由来板
郊外の神社ですが、案内板とか御朱印とか盛り立てていこうという意欲が感じられます☆
手水舎
神輿殿ですが、八坂神社も兼ねてる様子
拝殿
田舎の鎮守様ですが、やはり宮司さんがいるためかよく管理されてます
左手に石祠群
これが看板にあるその他八柱の神々か
左に社殿付きの摂社が一つ
これが大蛇=弁天様かと思ったら意外にも天満宮でした(・・;)
一つだけ離れた所に小さい石祠
もしかしたらこれが大蛇=弁天様?
宮司宅の外にあった庚申塔
さすがに社家のすぐ側なのでちゃんと注連縄が掛けられてます
長井神社の御朱印・御朱印帳の写真一覧(2枚)
御朱印(2枚)
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