はぎひよしじんじゃ
萩日吉神社
埼玉県 明覚駅
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
神社ソムリエの佐々木優太さんがご紹介されていたので参拝してきました。
山の中にある、厳かかつ穏やかさを兼ね備えた雰囲気の神社でした。
掲題の木々は樹齢があり、太くて立派でした。
欽明天皇6年(544)蘇我稲目によって創建されたそうですが、500年代と言うのは、記憶のなかで一番古かったと思います。
確かに、、鳥居は見えるのですが、中は木々が茂り真っ暗で様子がわかりません。
ゾクゾクしました。
鳥居の奥が鬱蒼としていて、見えません。
神域、と言う感じをうけました。
鳥居の右に児持杉があります。
樹齢800年の杉は絨毯のように苔が生えています。
綺麗にお掃除されています。
初冬の15時は夕方の様に暗く寂しい。
イロハ四十八石階段
子供達にイロハ四十八で、文字や数を教えるため、石段を積んだ、と言うことかな?
イロハ四十八石階段
石造の祠
大田原市の西郷神社の様な派手な彫刻はありませんが、落ち着いた飾りがあります。
ニノ鳥居
立派な杉が立ち並んでいます。
手水舎
最後の石階段
両脇に狛猿
流鏑馬の時、納め猿、と言う木彫りの猿が売られているそうです。
なんだっけ?木の実?
神楽殿
拝殿
御朱印は神主さん宅でいただけるようです。
帰ってきてから知りました。
源義経が政子の名で田畑を寄進した「萩日吉神社」
埼玉r172大野東松山より南へずとーんと進んで萩ヶ丘小学校よりさらに奥。そこから大きな鳥居が見える。
駐車場は萩ヶ丘小学校の前と、鳥居の西側の細い山道を登った途中の境内に入れるところにちょっとだけ駐車スペースがある。
大きい鳥居の裏に隠れて「萩日吉神社」の石標。
鳥居くぐって正面に階段、右側に「児持杉」という天然記念物と由緒板。
階段登って鳥居、また階段で正面拝殿。
拝殿左側に神楽殿、右側に授与所。
木々で覆われた境内。
文治五年、奥州征伐の際に源頼朝が戦勝祈願で慈光寺に参詣。その後慈光寺に田畑を寄進し、萩日吉神社にも政子の名で田畑寄進している。
慈光寺はここから北へ車で10分ぐらい。
昼間だけど台風接近中の大雨だったので境内暗くてそこはかとなく怖かった。
「平の山王様」「萩の山王様」と親しまれるこの萩日吉神社は、社伝によると欽明天皇六年(544)12月に蘇我稲目により創建されたと伝えられます。当初は、萩明神と称されましたが、平安時代初期に慈光寺一山鎮護のため、近江国(現滋賀県)比叡山麓にある坂本の日吉大社を勧請合祀して、萩日吉山王宮に改称したといわれています。
源頼朝は文治五年(1189)六月、欧州の藤原泰衡追討に際し、慈光寺に戦勝祈願しその宿願成就の後、慈光寺へ田畑千二百町歩を寄進しましたが、同時に当社へも御台北条政子の名により田畑一町七畝を寄進しています。以後社殿の造営が行われて別格の社となり、元禄十年(1697)以降は牧野家の崇敬が厚く、『風土記稿』には「山王社・村の鎮守なり」と記されています。明治元年(1868)の神仏分離令により、現在の神社名「萩日吉神社」となりました。
住所 | 埼玉県比企郡ときがわ町西平1198 |
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行き方 | JR八高線、明覚駅下車、町路線バス せせらぎバスセンター経由「宮平」バス停下車、徒歩5分
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名称 | 萩日吉神社 |
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読み方 | はぎひよしじんじゃ |
通称 | 平の山王様 |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 20分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0493-67-0119 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《合》速玉之男命,天照大御神,木花開耶姫命,大山祇命,素盞嗚命,《主》大山咋命,国常立尊,天忍穂耳尊,国狭槌尊,伊弉冉尊,瓊瓊杵尊,惶根尊 |
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創建時代 | 欽明天皇6年(537)11月 |
創始者 | 蘇我稲目 |
文化財 | 流鏑馬祭り,神楽(県指定無形民俗文化財)
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ご由緒 | 「平の山王様」「萩の山王様」と親しまれるこの萩日吉神社は、社伝によると欽明天皇六年(544)12月に蘇我稲目により創建されたと伝えられます。当初は、萩明神と称されましたが、平安時代初期に慈光寺一山鎮護のため、近江国(現滋賀県)比叡山麓にある坂本の日吉大社を勧請合祀して、萩日吉山王宮に改称したといわれています。
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体験 | 御朱印 |
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