こうさいじ|浄土真宗本願寺派
光西寺のお参りの記録一覧
中院の隣にある山門の彫刻が見事なお寺です。
川越藩主「松平周防守」菩提寺だそうです。
調べてみると藩と共に各地を転々としていたことがわかりました。
藩についてきた寺ということで士族寺とかお伴寺とよばれているとのことです。
室町時代、石州浜田(島根県)藩主菩提寺として建立
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江戸時代、藩が幕府の方針に背き外国との貿易をしていたことが露見。
徳川家親藩のためお取り潰しを免れ奥州棚倉(福島県)に左遷転封。家臣ともども光西寺も移転
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幕末、幕府は藩主・松平周防守康任の英才と手腕を重視し、老中職に任じ川越城主に転封させた。
光西寺も家臣とともに移転し、川越で借寺した
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大正時代、現在の地に寺を建立
山門
山門
山門
山門
山門
山門
山門
本堂
彫刻 願い
願いの解説
山門裏
力士像がしっかり支えていました
宗派は浄土真宗本願寺派。
西武新宿線本川越駅から徒歩15分位のところに居られます。
すぐ近くに中院さん、もう少し歩くと喜多院さんが居られますね。
1566年に私の実家のお隣島根県浜田市に開基されたことから始まり、浜田藩士の菩提寺でもあったそうです。島根のお寺がなぜ埼玉に?ってことなんですが、1836年に藩が竹島を拠点として当時は禁制だった貿易を行って奥州に転封され、家臣ともども移転されたそうです。その後幕末の危機に当たり藩主の外交手腕を重視し川越城主に転封させたときにまたお寺も移転されたそうです。
門が閉まっておりましたので外から伺っただけですが、まさか自分の地元と繋がりがあるとは驚きでした。
山門です。
彫刻が見事ですね。
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