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喜多院ではいただけません
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きたいん

喜多院のお参りの記録(1回目)
埼玉県本川越駅

投稿日:2024年11月29日(金)
参拝:2024年11月吉日
この日、川越城から三芳野神社にお参りした後、バスの便が分からなかったので、徒歩で喜多院に向かいました。住宅街を通る静かな道を歩く事15分余り、川越大師喜多院に到着。

天長7年(830年)、慈覚大師円仁により同地に前身となる無量寿寺が建立され、関東天台宗の学問所・修行所として栄えて来ましたが、天文6年(1537年)北条氏綱と上杉友定の戦いにより焼失し、長く荒廃したままとなった。

後に徳川幕府のブレーン的存在となる天海僧正の時代に、喜多院は再興を迎える。慶長17年(1612年)川越藩主酒井忠利により、喜多院伽藍の大改修が行われた。その後、寛永15年(1638年)1月の川越城下の大火により、貴重な建造物の多くが焼失したが、同年7月徳川家光は直ちに川越藩主堀田正盛に喜多院の復興を命じます。仙波東照宮、大堂、多宝塔、客殿、庫裏、書院、慈恵堂などが再建され、今日まで文化財として大切に保存されています。

まず慈恵堂にお詣りした後、客殿・書院を拝観。ここは寛永15年に3代将軍徳川家光公の命で、江戸城紅葉山の御殿が移築されたもの。その豪華な内装には驚かされます。客殿にある「家光公誕生の間」。見ものは81枚の多彩な格天井絵で、思わず首を伸ばし上を仰いで見入ってしまいました。
また書院の8畳間は家光公の乳母として名高い春日局ゆかりの「春日局化粧の間」と呼ばれています。

内部は撮影禁止でしたが、内装や当時を物語る具足や家具・調度品等、貴重なものばかりで、「こんなに手近に展示されていていいの?」と思ったほど。ここはじっくり時間を掛けて、災禍の度に再建を果たして来た川越の人々の信仰に思いを致しながら見学しました。

拝観券で「五百羅漢」見学もできます。境内の茶店の脇の入り口から入ると、様々な表情仕草をした計538体の石仏群の存在感に圧倒されます。本当にどれひとつ取っても同じ表情や仕草は無いのではと思われるぐらい。その表情、何だか自分の境遇に身につまされる様なものもあり、余り多く写真に残せませんでした。

売店に戻り、温かい甘酒を頂いてホッと一息。
この日は余り時間が無かったのですが、再訪する際には仙波東照宮や向いの日枝神社等も合わせてお参りしたいと思います。
喜多院(埼玉県)
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多宝堂
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慈恵堂でお参り
喜多院(埼玉県)
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五百羅漢
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五百羅漢
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五百羅漢
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御朱印。書き置きで頂きました。

すてき

御朱印

書き置きで頂きました。
書き置きで頂きました。

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