いずもいわいじんじゃ
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出雲伊波比神社ではいただけません
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出雲伊波比神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年08月03日(火)
参拝:2020年7月吉日
出雲伊波比神社(いずもいわい~)は、埼玉県入間郡毛呂山町にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。祭神は大己貴命(おおなむち)と天穂日命(あめのほひ)。
社伝によると、創建は景行天皇53年に日本武尊が天皇より下賜されたヒイラギの鉾を奉納して大己貴命を祀り、その後成務天皇の代に武蔵国造・兄多毛比命(えたもひ)が天穂日命を合祀して出雲伊波比神としたとされる。奈良時代の太政官符には、772年に官幣社として幣帛を受けた記録がある。平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載される「武蔵国 入間郡 出雲伊波比神社 小」の論社とされる(他の論社は、出雲祝神社(埼玉県入間市)、北野天神社に合祀されている物部天神社(埼玉県所沢市))。現在の社殿は室町時代1528年に毛呂顕繁が再建したもので、国指定の重要文化財となっている。
当社は、JR八高線・毛呂駅の北東100m(近っ!)の小高い山の上にあって、その小山のほとんどが境内になっている。社殿の周辺以外は、鬱蒼とした林になっていて、凛とした神域の雰囲気は抜群。参道は長く社殿は大きく立派。かなり堂々とした風格で、式内社と言われたとしても十分納得感がある。
今回は、武蔵国の式内論社として参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外にも参拝者が数人いた。
社伝によると、創建は景行天皇53年に日本武尊が天皇より下賜されたヒイラギの鉾を奉納して大己貴命を祀り、その後成務天皇の代に武蔵国造・兄多毛比命(えたもひ)が天穂日命を合祀して出雲伊波比神としたとされる。奈良時代の太政官符には、772年に官幣社として幣帛を受けた記録がある。平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載される「武蔵国 入間郡 出雲伊波比神社 小」の論社とされる(他の論社は、出雲祝神社(埼玉県入間市)、北野天神社に合祀されている物部天神社(埼玉県所沢市))。現在の社殿は室町時代1528年に毛呂顕繁が再建したもので、国指定の重要文化財となっている。
当社は、JR八高線・毛呂駅の北東100m(近っ!)の小高い山の上にあって、その小山のほとんどが境内になっている。社殿の周辺以外は、鬱蒼とした林になっていて、凛とした神域の雰囲気は抜群。参道は長く社殿は大きく立派。かなり堂々とした風格で、式内社と言われたとしても十分納得感がある。
今回は、武蔵国の式内論社として参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外にも参拝者が数人いた。
大通りに面した、境内北側にある<鳥居>。鳥居後ろの鬱蒼とした森は社殿の後ろ側。鳥居の左側の<社殿祈祷>の看板の左横には、「まむしに注意して下さい」と書かれた小さな立て看板が...(^_^;)
上写真の左側の道路を使うと、小山の頂上のメイン境内に出る。<二の鳥居>からスタート。
鳥居左側の<狛犬>。いい感じに年季が入っている。江戸時代の物かな?
鳥居右側の<狛犬>。
鳥居をくぐったところから<社殿>を望む。かなり広々とした境内。周りが森で囲まれているので、喧騒から完全に隔絶されており、境内のピンと張り詰めた神聖な雰囲気が非常に良い。
参道右手にある<神楽殿>。
参道左手にある<手水舎>。
参道を進むと<三の鳥居>。社殿周りはさらに一段高い場所にある。
<拝殿>全景。風格のある堂々とした外観。
<拝殿>正面。彫刻も繊細で美しい。
拝殿前に立つ<瀬戸大也選手の流鏑馬の的>。同選手は毛呂山町出身で当社の氏子。2005年の当社やぶさめ祭りに乗り子として騎乗したとのこと。なお、当社の流鏑馬は平安時代後期1063年に源義家が奉納したものが発祥とされる。
拝殿に向かって右側に立つ建物。おそらく<臨時授与所>。
拝殿後ろの本殿。室町時代1528年建立、一間社流造、銅板葺。国指定の重要文化財。
本殿の右脇にある境内社。
<二の鳥居>近くにある<社務所>。御朱印はこちら。
すてき
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惣一郎1269投稿
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