さやまはちまんじんじゃ
狭山八幡神社のお参りの記録一覧
近くを通ったのでお参り。朝早かったので社務所は閉まってました。お掃除が行き届いてる神社でした。
ご祭神は応神天皇 (誉田別命)。新田義貞が厚く信仰していたそうです。
参道入口
手水舎。スミマセン、素敵な感じでしたが撮れてなく…
拝殿正面
拝殿。扁額が特徴的ですね
拝殿と本殿
本殿横から
彫刻が凄い
凄い
凄い
拝殿と本殿で段差がありました
入間川神社
ご祭神 八意思兼神・聖徳太子
八雲神社(天王さま)
天王さまを奉ったのが分かる字が
狭山市駅から徒歩7分程に御鎮座されています。室町時代初期の創建で、新田義貞公の信仰厚く一時「新田の八幡宮」と称されたこともある神社になります。
川越から1日歩いて、閉所までに八幡様にたどり着き御朱印を拝受するのが目標だったのですが、無事に間に合いました。
花手水がかわいくて癒されました✨こちらの八幡様は私の両親と縁深い神社になりまして、今回は御朱印も拝受できて嬉しかったです。
切り絵の御朱印が2種類ありましたが、お財布と相談して切り絵はまた次回にしました。
表参道鳥居
手水舎
かわいくて癒されました💕
拝殿
本殿
市指定文化財になっています。
社宝「砂破利のつぼ」説明看板
このつぼの発見により、京都方面に連絡を持つ豪族が神社創建に関与していたと考えられるそうです。
「入間川鹿子舞」の説明看板
市指定文化財です。
入間川神社
(日清~第二次大戦までの国に殉じた軍人・軍属、入間川町に貢献した文化人の霊)
琴平神社
(ご祭神:崇神天皇)
左から痘神社(和津良比之宇斯命)、高良神社(武之内大臣宿祢)、大鷲神社(保食命)、甚兵衛大権現、御嶽山(伊邪那岐尊、伊邪那美尊)
思兼神社(太子さま)
(ご祭神:八意思兼神、聖徳太子)
八雲神社(天王様)
(ご祭神:須佐之男命)
鎌倉街道散策(狭山)03
【散策ルート】
狭山市駅〜①祇園白山神社〜②徳林寺〜③狭山八幡神社〜④慈眼寺〜⑤入間川諏訪神社〜⑥清水八幡神社〜⑦八丁渡し〜⑧影隠地蔵〜⑨信濃坂碑〜⑩今宿遺跡〜狭山市駅
徳林寺の前の道を正面に向って行けば、左手に鳥居が見えてくる。
③狭山八幡神社
狭山市入間川にある村社の神社で、祭神は応神天王で、合祀神は天照皇大神、春日大神。
旧入間川村の総鎮守ですが、過去に数回の火災に遭遇して古記録を失ったため、その創建年月は不明です。
元弘3年(1333)5月に新田義貞が鎌倉幕府を攻めるため当地へ兵を進めた際、戦勝祈願に参拝したとあり、境内には義貞が馬をつないだという「駒つなぎの松」がある。
9月中旬頃の土曜日・日曜日には市指定文化財「八幡神社鹿子舞」が奉納され、近くの白山神社や清水八幡宮などを巡回奉納します。
③狭山八幡神社 一ノ鳥居
③狭山八幡神社 石段
③狭山八幡神社 ニノ鳥居と拝殿
③狭山八幡神社 拝殿
③狭山八幡神社 拝殿
③狭山八幡神社 拝殿
③狭山八幡神社 拝殿 上部木彫刻
③狭山八幡神社 拝殿 扉木彫刻
③狭山八幡神社 駒繋ぎの松 案内板
本殿の脇に新田義貞が馬をつないだとされる「駒つなぎの松」があったのですが、現在は枯れていて植え替えた松が残っている。
③狭山八幡神社 繋ぎの松
③狭山八幡神社 駒繋ぎの松
③狭山八幡神社 奥殿木彫刻
③狭山八幡神社 奥殿木彫刻
③狭山八幡神社 奥殿木彫刻
床より低い場所にも龍などの見事な彫刻がされている。
③狭山八幡神社 琴棋書画
奥殿の正面を除く三面に、透かし彫りと浮き彫りの両技法を巧みに使い分け、「琴棋書画」を七福神などで表現した見事な彫刻が施されている。
ちなみに「琴棋書画」とは、中国で余技として貴ばれた琴・棋(囲碁・将棋)・書画のこと。
③狭山八幡神社 境内社
③狭山八幡神社 境内社
③狭山八幡神社 境内社
③狭山八幡神社 御朱印
西武新宿線狭山市駅から徒歩10分弱のところに居られます。
新田義貞公の信仰が篤く「新田の八幡様」と呼ばれていた時期もあったとか。
千鳥破風のついた入母屋造の本殿が見事で、結構近くで拝むことができます。
江戸時代後期のものと伝えられております。
境内はそこまで広いというわけでもないのですが見どころがギュッと凝縮されているという印象でした。
丁度時期的に七五三シーズンですのでお宮参りの家族連れでにぎやかでした。
大正10年生まれの狛犬さんです。
年季を感じる表情です。
獅子が竹を咥えています。今流行のやつですね(それは違う
波と鳥ですね、見事な彫刻です。
右側の獅子は鞠を持っています。狛犬に鞠は見かけますけど拝殿の柱の彫刻では珍しいですよね。
神楽殿の前は駐車場になっています。
新田義貞公が馬を繋いだと言われる松です。
1796年から7年を要して建てられたと伝えられる市の文化財にも指定されている本殿です。かなりスマートですよね。
そして彫刻が見事ですよね。彫刻を施した作者さんの名前も残っているのは珍しいようです。
龍、獏、獏、獅子、みたいな感じでこんなに並んでるのも珍しいのでは?
これは浦島太郎ですかね?
手水舎です。
鳥居をくぐってから石段の雰囲気がまた良いですね。
中段より上が47段、下が24段あるそうで、上段は赤穂47士、下段は中国の故事24孝からきているそうです。
創建は室町初期とされてます。新田義貞が鎌倉幕府討伐の際、必勝祈願したそうで、境内にはその時に馬を繋いだという「新田義貞駒つなぎの松」があります。新田八幡とも称され、入間川村の鎮守社だったといいます。こちら神社の本殿、形がとても変わっていて一見の価値あり。享和二年(1802年)に建てられたもので、狭山市の文化財に指定されています。境内には八雲神社、思兼神社、琴平神社など境内社が複数ありました。またじっくりと訪れたい神社です。次回は御朱印もいただかないとです。
(境内社由緒はHPより引用しました。)
鳥居
拝殿
拝殿
拝殿
狛犬
狛犬
本殿
本殿
本殿
本殿前
「新田義貞駒つなぎの松」…根元のみ残っているようです。
本殿説明
入間川神社
ご祭神:日清戦争から第二次大戦までの数次にわたる戦役で、国に殉じた軍人・軍属と、入間川町の発展に貢献した文化人の御霊
由緒:第二次大戦の終結により、取り壊しの運命にあった当時の奉安殿を、町民の勤労奉仕によって境内地へと移された。
大鷲神社
ご祭神:保食命(うけもちのみこと)
由緒:元来花柳界の人々によって信仰されていたが、明治初年に開設された入間川市場の繁栄を願って祀られた。
琴平神社
ご祭神:崇神天皇
由緒:昔、暴風雨の中を漂う漁船を、天狗の姿となって海を鎮め救助したという伝えが、航海守護、大漁祈願の信仰を生み、今日では商売繁盛、五穀豊穣の信仰へと発展している。社殿は近年改築されたものであるが、御鎮座は300年前と伝えられている。
思兼神社
ご祭神:八意思兼神・聖徳太子
由緒:八意思兼神は、八百万の神々の知恵を一身に兼ね備えていたという。また、聖徳太子は同時に数多の民衆の意見を聞き分けたと伝えられ、共に英智の神として崇められている。さらに聖徳太子は、当時の乱れた世の中に仏教を広め、全国に寺院の建立をうながし国民生活の安泰をはかったという。その徳を慕う民衆、建築に携わった匠たちがこれを称え、建築の祖神として今日に受け継がれている。その技術革新の信仰が広く、工事関係者の間にまで伝えられている。
八雲神社
ご祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)
由緒:江戸時代まで牛頭天王と称されていたが、明治初年に八雲神社と改められた。創建は徳川三代将軍よりご朱印地を賜っており江戸初期あるいはそれ以前とされ現在の社殿は文政7年(1824年)の建築である。夏季例大祭で巡行する御神輿は、この社殿に納められており、安永2年(1773年)の造営で重量400kg。屋根には社紋の巴と寺紋の卍が施され、その古さを伝えている。
神楽殿
鳥居
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