ひろせじんじゃ
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楽しみ方廣瀬神社のお参りの記録一覧

延喜式神名帳に記載される武蔵国入間郡五座の1つになります。
社伝によりますと、景行天皇の御代、日本武尊が当地に来られました時、入間川の風景が大和国(奈良県)広瀬河合の地にあまりにもよく似ていることから、当地を「廣瀬」と名付けるとともに廣瀬神社(現 廣瀬大社)より若宇迦能売命を移し祀ったといいます。
若宇迦能売命は女神であることから荒々しいことを嫌うと云われています。
ゆえに、地元の者が獅子頭を彫ると病気になるといわれ、獅子に関する行事は遠慮されています。廣瀬神社境内に狛犬がいないのはそのためです。
明治40年には八衢比古命、八衢比売命、久那斗命が合祀されました。
一時期、祭神に"白鬚明神"が加えられていたことがあるのですが、これは別当寺だった宝蔵寺の影響であると考えられています。宝蔵寺は高麗郡新堀村聖天院末で、高麗郡は多くの白鬚神社が祀られていることで知られています。
御朱印などの授与は1日と15日の午前中のみになります。この日は対応日ではありませんでしたが、参拝に来ている方が多数いました。
境内南西には「稲実の池」があり、大きな鯉やカルガモ🦆がたくさんいて、眺めながら癒しのひとときを過ごしました😊




手水舎



拝殿




本殿


『幄舎(あくしゃ)』

『太鼓楼』
昭和15年10月に新築されたもので、入母屋造り。祭典に合わせて大太鼓が打ち鳴らされます。

『不朽梅(ふきゅうばい)』
梅の木は樹齢200年を越えるとねじれてくるのだそうです。この梅の木の樹齢は400年位とのことですが、老いてなお花を開かせ新しい芽を伸ばすなど勢いがあります。

『安政の句碑』


『仁徳天皇のお印 あずさの木』


『シャチホコ』

『社務所』


『舞楽殿 鏡板老松』
昭和7年4月新築されたもの。

『旧殿跡碑』

旧社殿は入間川を望んで建っていましたが、文政6年(1823)に別当寺の真言宗宝蔵寺の火災で類焼しました。現在の社殿は明治の社地整備の際に改築され東向きとなっています。

『神輿舎』

神輿舎の裏は小さな公園になっています。

『ご神木2号』

『清水宗徳碑』
明治43年4月建立。

境内社

『八幡神社』
祭神∶応神天皇

『杉森稲荷』
祭神∶保食命、猿田彦命、大宮比売命

『神明社』

『松尾芭蕉歌碑』
明治21年4月建立。


『霞神社』
祭神∶大国主命、少彦名之命、当地出身戦没者霊



『稲実の池』



🦆🦆🦆



『斜子織碑』
廣瀬斜子(ひろせななこ)と称する絹織物は有名で、これは婦女子が前橋の関根という製糸工場へ行って習ってきたものでありました。
「ななこ」とは平織の絹織物の1つで、折り目が細かく斜めに並ぶことから斜子といわれ、折り目が魚卵を並べたようにも見えることから"魚子"とも書いたそうです。

『ご神木1号』
境内には御神木の大ケヤキが2本あり樹齢は約800年を超えると推定され、県の天然記念物に指定されています。新編武蔵風土記稿には3本あったとあるのですが、落雷により枯れてしまったとのこと。



廣瀬神社は、埼玉県狭山市にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は若宇加能売命(わかうかのめのみこと)。相殿神として神火産霊命(かみほのむすびのみこと)・木花咲耶姫命(このはなさくやびめのみこと)・八衢比古命(やちまたひこのみこと)・八衢比売命(やちまたひめのみこと)・久那斗命(くなとのみこと)の5柱を祀る。
社伝によると、景行天皇の御代、日本武尊が東征の際に当地を訪れ、廣瀬大社が鎮座する大和国広瀬郡川合(現奈良県北葛城郡河合町)に似ているとして廣瀬大社の神々を分祀し武運長久と五穀豊穣を祈願したことに始まるとしている。ただし、日本武尊が伝説上の人物で、廣瀬大社にも武蔵国に分祀した記録がない。国史の初見は『日本文徳天皇実録』で、850年に官社に列した記録がある。平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載がある「武蔵国 入間郡 廣瀬神社 小」に比定されている。
江戸時代には、上広瀬村、下広瀬村の鎮守となったが、1823年に別当寺の宝蔵寺の火災で古文書を焼失している。明治時代の近代社格制度下では郷社に列し、のちに県社に昇格した。
当社は、西武新宿線・狭山市駅の西方3km、西武池袋線・入間市駅の北方3kmの入間川の北側ののどかな住宅街にある。旧県社格らしく境内は広々していて、御神木の大ケヤキを中心に自然が溢れている。野鳥にとっても憩いの場となっていると思われる。
今回は、武蔵国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、参拝自体には興味がなさそうなカメラ愛好会のメンバー20人ほどが、境内を思い思いに撮影しながらふらふら歩いていた。
※社務所の張り紙によると、毎月1日と15日の午前中のみ社務所が開いているとのこと。おそらく御朱印はそのタイミングのみ拝受できると思われる。

大通りから見た境内入口の<鳥居>。鳥居が奥まっていて、社号標が少し離れているので目立たない。

鳥居をくぐると広い駐車場エリアがあって、さらに進むと石の塀で囲まれた神域に入る。カメラ愛好会のメンバーが大勢で木の上を見上げている。

参道を進む。

参道の左側にある<手水舎>。

ふたたび参道を進む。

神明造の<拝殿>全景。両サイドに立つ樹木の元気良すぎで全ては見えない...(^_^;)

<拝殿>正面。扁額は向拝の手前に掛かっている。扁額の<廣瀬神社>の文字は、「明治の三筆」と称された、長州藩出身の維新志士・書家の野村素介という人物の書とのこと。確かに美しい文字。

<社殿>全景。大きな拝殿に対して、バランスの良い大きな本殿が後ろに控えている。

社殿と社務所の間にある、大きな袴腰の<鐘楼>(かな?)。

<御神木>をすべて画角に収めて撮影するとこんな感じ。

御神木の近くにある<神楽殿>。

表札に<神輿庫>とある建物。扁額には美しい書体で<徳維新>と書かれている。当社の神輿は江戸時代末期1864年に製作・奉納されたものとのこと。

こちらが<社務所>。通常は無人、月2日午前中のみ有人らしい。おそらく御朱印はこちら。

それにしても立派な御神木の<大ケヤキ>。推定樹齢700~800年で、高さ30m、幹回り6mある。
江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』によるとケヤキの巨木は3本あると記されているが、現在では2本対になっているとのこと。

もう一つの御神木の<大ケヤキ>。神輿庫の脇にある。

境内入口の近くにある<芭蕉句碑>と<二宮金次郎像>。

最後に、境内入口の鳥居から少し離れている<社号標>。

武蔵国式内社巡りで参拝しました。
御朱印をいただきたかったのですが、時間外で断念。次回は時間合わせて行きます。
鳥居
手水舎
社殿
社号額の説明
社務所の説明
由緒書き
神楽殿
大ケヤキの説明
大ケヤキ
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