みかじまいなりじんじゃ
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所沢青梅線の大日堂交差点から三ヶ島文教通りに入りすぐの場所に鎮座されています。
昔は近くの宝玉院の境内にあり、明治の神仏分離令に基づき明治八年に分離。その後も付近を転々とし、現在地に移転してきたとあります。
本殿の裏には地蔵尊のお堂があり、さらに道路を挟んで庚申塔があります。境内には広場があり、地域の子どもたちが楽しそうに遊んでいました。














境内・文化財
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当神社は、三ヶ島五丁目新井家の遠い祖先が宝玉院の南隣に当家の守護神として祀ったものと伝えられている。その後宝栄6年(1710)に宝玉院に納められこの頃より当地域の鎮守として信仰されるようになった。
明治8年、神仏分離令により宝玉院隣地から元早稲田大学校地内(旧葛籠入620)に移転遷宮をした。大正11年、覆殿の屋根を改装、拝殿の新築、鳥居の建立をした。昭和26年、守谷家より元山林が奉納され現在地に移転遷宮をした。
昭和61年、大学誘致に伴い元屋敷を譲渡し社殿の新築と、湯殿神社の跡地を譲り受け境内の拡張整備をした。昭和62年、京都伏見稲荷大社より御神木杉苗拝受、植樹した。平成15年、遷宮50周年を記念して鳥居建立と幟幡竿の改修をした。
| 名称 | 三ヶ島稲荷神社 |
|---|---|
| 読み方 | みかじまいなりじんじゃ |
詳細情報
| ご祭神 | 倉稲之御魂神 |
|---|---|
| 創建時代 | 安永4年(1775)12月 |
| 本殿 | 明神造 |
| ご由緒 | 当神社は、三ヶ島五丁目新井家の遠い祖先が宝玉院の南隣に当家の守護神として祀ったものと伝えられている。その後宝栄6年(1710)に宝玉院に納められこの頃より当地域の鎮守として信仰されるようになった。
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| ご利益 | 商売繁盛五穀豊穣 |
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