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ひがしさやまがおかくまのじんじゃ

東狭山ケ丘熊野神社の御由緒・歴史
埼玉県 狭山ケ丘駅

ご祭神《主》素戔嗚命
ご由緒

熊野神社<所沢市東狭山ヶ丘五-二七五九(三ヶ島新田字乙宮下)>
当地は、本村三ヶ島村の北にあり、三ヶ島新田と称している。『風土記稿』によると武蔵野新開の地で、寛文、延宝、元禄、宝暦と数度の検地が行われ、開墾も段階を経て実施された。
口碑によると当社は三ヶ島村の本村から当地の開発に来た氏子の平岡清家の屋敷神が後に村持ちとなって産土様と呼ばれるようになったものである。平岡家で熊野神社を屋敷神としていた理由は不明で、修験とかかわる伝承も見当たらない。当村開発時からといわれている家は数戸ある。往時は辺り一面の雑木林と草原で、しかもその土壌は砂地で、地下水も深くて井戸は二〇メートルほど掘らないと水に当たらなかったという。このため、村人は水の確保に苦労し、開墾後も耕地の大部分は畑地で、主にさつま芋と麦を栽培し、収穫後、神社でささやかな秋祭りを続けていた。
祭神は、素盞鳴命であり、内陣には白幣を祀る。
社地は、当社が村持ちとなることによって、氏子の中重吉・沢田左宮の先祖が所有地を神社に提供し、これに社殿を建立したが、戦後宗教法人法により登記するに当たり、この社地は両家から寄進された。
社殿は西を向き、屋根は昭和三一年に瓦葺きにするまで、麦藁葺きで、一〇年ごとに村中総出で葺き替えを行っていた。(「埼玉の神社」より)

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