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備後須賀稲荷神社ではいただけません
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びんごすかいなりじんじゃ

備後須賀稲荷神社
埼玉県 一ノ割駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

普段は社務所兼公民館横の駐車場を利用できます。(3台ほど)
鳥居前の路側帯に2台ほど停めておけます。

備後須賀稲荷神社について

正月三が日と初午大祭には大変にぎわう神社です。
関東三大稲荷の1つに列しているとも言い、特に初午大祭の賑わいでは出店も並びます。
神社の規模とは不釣り合いなほど休日には参拝者が訪れています。
御朱印は正月三が日と初午大祭の日に社務所にて頒布されます。
御朱印帳も同様です。

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オサッペ
オサッペ
2024年04月14日(日)
953投稿

さらに、自転車プラプラ。
春日部市立武里小学校の隣に鎮座されている稲荷神社さま。
以前にお散歩でお詣りした春日部市備後にある建御雷神社社伝にあった武里の村社とされていた神社。
こちらも春日部駅の西側に行く際に気になっていた神社さま。
実際に伺うと神社の敷地は大きくないけれど、本殿がかなり立派。
神社内にある由緒書きの碑を読み込むとこの地の地名が備後である理由や神社伝が事細かに記されていました。
隣の小学校を含めて近くの勝林寺さまの敷地だったそうで別当寺院だったそうで、こちらのご住職さまが古文書より社伝を伝えられたそうです。
お詣り後にあまりの暑さなので、神社前の日陰で15分ほど休憩していたのですが、常に参拝者がいる状態。
ぶっちゃけ「この規模の神社にしては多すぎません?」といった様子。
お詣りされた方にお声がけさせて頂いたのですが、御朱印のこと神社の歴史、拝殿と本殿の一部だけが新しい理由(数年前に放火にあったことなど)のことなど教えて頂きありがたかったです。
ホトカミに登録のなかった神社でしたが、なんと「関東三大稲荷神社」の一社にも列される神社だそうで、実は凄い神社でした。
御朱印は、正月三が日と初午祭(3月第1日曜日)のほぼ午前中のみの書き入れで、画家さんが原画を描かれたオリジナル御朱印帳もあるとのことで、来年の元旦予定は決定しました。

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

拝殿

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

馬頭観音

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

御神木

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

参道の感じ

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

横のわらじ納め処(なんで?)

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

天満社

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

鳥居前

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

鳥居

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

本殿前のお狐さま

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

本殿の龍

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

鳥居のところの立て看板

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

浅間社

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

本殿

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

扁額

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

拝殿前のお狐さま

備後須賀稲荷神社(埼玉県)

拝殿前のお狐さま

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備後須賀稲荷神社の基本情報

住所埼玉県春日部市備後西5丁目5−1
行き方

東武スカイツリーライン武里駅から徒歩15分
東武スカイツリーライン一ノ割駅から徒歩20分

アクセスを詳しく見る
名称備後須賀稲荷神社
読み方びんごすかいなりじんじゃ
通称稲荷神社
参拝時間

24時間可能

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

無料

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり

詳細情報

ご祭神豊受姫命
創建時代1211年
創始者春日部治部少輔
ご由緒

「子育ての稲荷様」として信仰の厚い当社は、豊受姫命を祭神とし、備後の西部に当たる須賀の地に奉斎されている。
『風土記稿』備後村の項を見ると、村の鎮守である香取神社に続いて、「稲荷社二宇 一は勝林寺持、一は村民の持」との記載があるが、ここに載る「勝林寺持」の稲荷社が当社のことである。
勝林寺は、元亀元年(一五七〇)に源岌によって開かれたと伝えられる浄土宗の寺院で、その山号を稲荷山というところからも当社とのかかわりの深さがうかがえる。この当社の創建については、勝林寺二三世の浄誉が元文六年(一七四一)に古書を筆写して作成した「鎮守縁起」によれば、次のように伝えられている。
昔、この須賀の土地は、海中の小島であった。そのころ粕壁の浜川戸に館を構えていた春日部治部少輔という領主のところへ、「島から不思議な光が差し、海中を照らすこと一年にも及ぶので、魚が逃げてしまい、漁ができなくなって困っている。
何とかしてもらえないものだろうか」と訴えて来た者があった。そこで、領主が島を調べてみると、一本の枯れ木の朽ちた所から観音の像が見つかった。不思議に思った領主は、この像を館に持ち帰り、城中に祀って拝んでいた。
ある時、館を訪れた旅の僧にこの観音像を見せると、僧は観音像の由来について「この本尊は、昔、弘法大師が唐の国から持ち帰り、備後の国に安置したものだ。その後、備後の国に兵乱が起こり、国中が不穏となったため、難を避けて東国へ移るものが多くあった。
寺の人たちもこの像を奉じて船に乗り、東国に下った。
ところが、途中で暴風雨に遭って多くの船は難破したが、この像を奉じた船だけは何の禍もなく無事航海を終えることができた。
皆は、これは尊像の御利益だと有り難がり、尊像を拝し奉ろうとしたところ、像はたちまちどこへともなく飛び去ってしまったといわれている。これはまさしくその尊像に違いない」と語った。その後、領主は夢で「須賀島の稲荷を祀れ」とのお告げを受け、この社を建立するに至り、尊像にまつわる話の備後国にちなんで村名を備後としたという。
同書によれば、この話は建暦元年(一二一一)の出来事であり、以来、当社は王子稲荷・佐野稲荷と並ぶ関東三大稲荷の随一として広く信仰されるに至ったと伝える。
また、本地仏の十一面観音は、神仏分離後は勝林寺に移され、毎年初午の当日に同寺で御開帳が行われている。現在、内陣には宝永五年(一七〇八)銘の神鏡と狐に乗った荼枳尼天像が安置されている。
この荼枳尼天像を納めた厨子には「正一位育子稲荷大明神影□ 文化三丙寅(一八〇六)正月廿二日遷宮 稲荷山廿一世中興梁譽代」との墨書があり、このころ本殿の再建がなされたことがうかがえる。

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