ひかわにょたいじんじゃ
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氷川女體神社ではいただけません
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氷川女體神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年03月21日(日)
参拝:2020年3月吉日
氷川女體神社(ひかわにょたい~)は、埼玉県さいたま市緑区にある神社。『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国足立郡 多気比売神社」の論社。武蔵国一之宮を称し、全国一之宮会加盟社。旧社格は郷社。主祭神は奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)で、氷川神社の主祭神・須佐之男命の妻。
社伝によると、創建は崇神天皇年間(6~7世紀)、出雲大社から奇稲田姫命を勧請して創建と伝わる。明治期に出版された『大日本地名辞書』では延喜式神名帳の「多気比売神社」の論社としているが、桶川市篠津の<多氣比賣神社>とする説が有力。
江戸期には徳川家康より社領を寄進され、徳川家綱は現存の社殿を造成した。また時代劇で有名な大岡越前守忠相が町奉行から寺社奉行に昇格した際、直ちに当社社殿を修復したとのこと。
江戸中期、18世紀前半の大規模新田開発までは、この周囲は広い沼地で、その見沼は神沼とされ、見沼周辺に建つ当社、氷川神社(大宮区高鼻)、中山神社(見沼区中川)は三社一体で氷川神社として奉斎されたとする神社明細帳控の記述もある。
江戸時代の神道家・橘三喜が当社から全国一之宮巡礼を始めたことから、全国一之宮巡礼発祥の地といわれている。『江戸名所図会』にも登場し、「元簸河神社」という名称で記載されている。
当社は、JR武蔵野線・東浦和駅の北2kmあまりの住宅街の中にあり、見沼氷川公園に隣接している。境内は小さな丘の上にあり、境内は自然のままの姿が多く残されており、広さは小さめの郷社といったところ。
参拝時は週末の午後で、参拝者はぱらぱらと来ていた。
社伝によると、創建は崇神天皇年間(6~7世紀)、出雲大社から奇稲田姫命を勧請して創建と伝わる。明治期に出版された『大日本地名辞書』では延喜式神名帳の「多気比売神社」の論社としているが、桶川市篠津の<多氣比賣神社>とする説が有力。
江戸期には徳川家康より社領を寄進され、徳川家綱は現存の社殿を造成した。また時代劇で有名な大岡越前守忠相が町奉行から寺社奉行に昇格した際、直ちに当社社殿を修復したとのこと。
江戸中期、18世紀前半の大規模新田開発までは、この周囲は広い沼地で、その見沼は神沼とされ、見沼周辺に建つ当社、氷川神社(大宮区高鼻)、中山神社(見沼区中川)は三社一体で氷川神社として奉斎されたとする神社明細帳控の記述もある。
江戸時代の神道家・橘三喜が当社から全国一之宮巡礼を始めたことから、全国一之宮巡礼発祥の地といわれている。『江戸名所図会』にも登場し、「元簸河神社」という名称で記載されている。
当社は、JR武蔵野線・東浦和駅の北2kmあまりの住宅街の中にあり、見沼氷川公園に隣接している。境内は小さな丘の上にあり、境内は自然のままの姿が多く残されており、広さは小さめの郷社といったところ。
参拝時は週末の午後で、参拝者はぱらぱらと来ていた。
境内に続く階段と鳥居。後ろは見沼氷川公園。
階段を上がり切った所からの景色。社殿までまっすぐに石造りの参道。
階段上がってすぐ右手にある<手水舎>。
参道中央から社殿を望む。両サイドの樹木が良い雰囲気を出している。
拝殿正面。扁額には<武蔵國一宮>の文字。
社殿側面。真っ赤な社殿は、拝殿とのバランスも良好。
境内左手にある社務所。授与所にはいろいろなものが置いてあって賑やかな雰囲気がGOOD。
境内右手にある<龍神社>。さいたま市周辺は広大な<見沼>であったため、龍神伝説が多くあるんだとか。
境内全景。龍神社のあたりから。
すてき
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惣一郎1269投稿
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