むさしいちのみやひかわじんじゃ
武蔵一宮氷川神社埼玉県 北大宮駅
8:30〜17:00
御朱印 | 用紙もカラフルな季節限定御朱印がいただけます。上部には『武蔵一宮』の文字が大きく書かれています。 | ||
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限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
武蔵一宮氷川神社参拝⛩️
護國神社から氷川神社へ
手水舎には花が綺麗に飾られてました💐
土曜日で七五三沢山お参りしてました。
結婚式もされてました🎉
紅葉はまたまだ、やっと色づいてきたかなという感じです😊
やっと色づいてきました。
参道
七五三が多いからか、出店もでてました。
手水舎には花が飾られてました。
こちらも綺麗な花🌸
宗像神社前の手水舎にも花💐
楼門
拝殿
舞殿
大湯祭の写真展
11月30日からの大湯祭。
きっと大湯祭限定御朱印が領布されると思うのでまた上がらせていただきます。
回廊に巫女さん?
結婚式があげられてました。
新郎新婦
摂社 御嶽神社と門客人神社
宗像神社
蛇の池
三の鳥居⛩️横に新しくできた
遊水テラス
参拝者は休憩できます。
去年の神々の社カレンダーの11月の写真
9枚目の楼門の写真とだいぶ違いますよね😅
武蔵一宮氷川神社参拝⛩
今月3回目😅
氷川女体神社様にて全国一の宮御朱印帳拝受したので、氷川神社様も本日いただきたく上がらせていただきました🙏
酷暑で汗だく🥵💦車の温度表示は40℃∑(゚Д゚)
楼門
花手水
拝殿
氷川の大神にも一の宮参拝詞唱えてきました🙏
蛇の池✨パワースポット✨
一の宮御朱印帳に拝受🙏
御朱印帳かなり大きく周りの方の視線が気になりました😅
埼玉県武蔵国の一ノ宮神社でございます氷川神社へ⛩
私と同じ風属性の神社
相性がよいとの事でこの度参拝へ🤗
御祭神は
須佐之男命(すさのおのみこと)☀️
稲田姫命(いなだひめのみこと)☀️
大己貴命(おおなむちのみこと)☀️の三柱。
あいにくの雨日よりでしたが、雨の日の参拝は
心を清めるや心を浄化するなどなど
原点を見つめ直す事を意識せよとの神様のお告げ☂️
雨でも沢山の方々が参拝に訪れており
縁結びのご利益があるとの事で
女性の方が多かったように思います⭕️
サッカーJ2大宮アルディージャのスタジアムが
隣接しており、試合中だったようでサポーターの
声援が境内へ響いておりました⚽️
きっと神様もご利益パワーを
送ってくれている事でしょう⚽️
神社とサッカー⛩⚽️素晴らしい組み合わせですね🇯🇵
氷川神社は社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられます。御祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三柱の神で大己貴命は須佐之男命の御子に坐して国土を天照大神の御孫瓊々杵命に御譲りになられた国土経営の神であります。稲田姫命は須佐之男命の御妃で大己貴命の御母神であります。この御三神をここにお祀りされたのは国土経営民福安昌祈願の為であって大和朝廷の威光が漸次東方に及ぶにつれて、当神社の地位が益々重くなったのでありましょう。地勢上から見ても氷川神社は見沼をひかえ東西南北に展開し交通の便もよく土地も肥沃で民族は弥々繁栄し今日の基をなすに至ったものと思われます。
第十二代景行天皇の御代日本武尊は当神社に御参拝東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き格式高く、又今から凡そ千二百年前の聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定せられた延喜式神名帳には名神大社として月次新嘗案上の官幣に預り、又臨時祭にも奉幣に預る等歴朝の崇敬殊の外厚く、又武家時代になっては鎌倉、足利、北条、徳川氏等相継いて尊仰し祭祀は厳重に行われておりました。
明治の御代に至っては明治元年明治天皇は都を東京に遷され、当社を武蔵国の鎮守勅祭の社と御定めになり左の勅書を賜わったのであります。
勅ス、神祇ヲ崇メ、祭祀ヲ重ンズルハ、皇国ノ大典ニシテ政教ノ基本ナリ。然ルニ中世以降、政道漸ク衰エテ、祀典挙ラズ。逐二綱紀ノ不振ヲ馴致セリ。朕深ク之ヲ慨ク。方今更始ノ秋、新二東京ヲ置キ、親臨シテ政ヲ視将こ先ズ祀典ヲ興シ、綱紀ヲ張り、以テ祭政一致ノ道ヲ復サントス。乃チ武蔵国大宮駅氷川神社ヲ以テ当国ノ鎮守ト為シ、親幸シテ之ヲ祭ル。自今以後歳ゴトニ奉幣使ヲ遣シ以テ永例ト為サン。
次で同年十月二十八日明治天皇当神社に行幸、御親ら祭儀を執り行わせられ更に三年十一月一日再び御親祭あらせられました。この時の御行列は非常に荘厳で京都からの御遷都と同様の御盛儀であったといわれます。此の様に明治天皇が御親祭あらせられたのは桓武天皇平安遷都の折賀茂社をお祀りした御例によられたものといわれ、その模様を謹写した山田衛居筆の氷川神社行幸絵巻物は今も当社の社宝として大切に保存されて居ります。次で明治四年五月十四日官幣大社に列せられました。同九年奥羽御巡幸の節には米田侍従番長を御代拝として参向せられ、同十一年八月三十一日三度の行幸御参拝あらせられました。昭和九年昭和天皇の御参拝、昭和三十八年十月には今上陛下が皇太子殿下の御時、御参拝になられております。昭和四十二年十月明治天皇御親祭百年大祭が執り行われ、社殿、その他の諸建物の修復工事が完成、十月二十三日には、昭和天皇・皇后両陛下お揃いにて親しく御参拝を賜りました。昭和六十二年七月には今上陛下が皇太子殿下の御時、同妃殿下とお揃いにて御参拝になられ、平成五年五月には天皇・皇后両陛下の御参拝を賜っております。
又氷川神社名の神社は大宮を中心にして埼玉県下及び東京都下、神奈川県下に及びその数実に数百をかぞえます。今日県下だけでも百六十余社に及ぶことは御神威の高く尊きによるとは申せ武蔵国造の子孫がこの大宮の地を本拠として民族的政治的に著しい発展をしたことを物語って居るものと考えられます。
名称 | 武蔵一宮氷川神社 |
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読み方 | むさしいちのみやひかわじんじゃ |
通称 | 大宮氷川神社 |
参拝時間 | 8:30〜17:00 |
参拝にかかる時間 | 20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 用紙もカラフルな季節限定御朱印がいただけます。上部には『武蔵一宮』の文字が大きく書かれています。 |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 048-641-0137 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
日本全国の一宮まとめ | |
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勅祭社 第7番 |
ご祭神 | 《主祭神》 須佐之男命 稲田姫命 大己貴命 《配祀神》 倉稲魂命 |
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創建時代 | 孝昭天皇三年 |
本殿 | 五間社流造銅板葺 |
文化財 | 市指定文化財(門客人神社、御嶽神社、天津神社) |
ご由緒 | 氷川神社は社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられます。御祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三柱の神で大己貴命は須佐之男命の御子に坐して国土を天照大神の御孫瓊々杵命に御譲りになられた国土経営の神であります。稲田姫命は須佐之男命の御妃で大己貴命の御母神であります。この御三神をここにお祀りされたのは国土経営民福安昌祈願の為であって大和朝廷の威光が漸次東方に及ぶにつれて、当神社の地位が益々重くなったのでありましょう。地勢上から見ても氷川神社は見沼をひかえ東西南北に展開し交通の便もよく土地も肥沃で民族は弥々繁栄し今日の基をなすに至ったものと思われます。 第十二代景行天皇の御代日本武尊は当神社に御参拝東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き格式高く、又今から凡そ千二百年前の聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定せられた延喜式神名帳には名神大社として月次新嘗案上の官幣に預り、又臨時祭にも奉幣に預る等歴朝の崇敬殊の外厚く、又武家時代になっては鎌倉、足利、北条、徳川氏等相継いて尊仰し祭祀は厳重に行われておりました。
勅ス、神祇ヲ崇メ、祭祀ヲ重ンズルハ、皇国ノ大典ニシテ政教ノ基本ナリ。然ルニ中世以降、政道漸ク衰エテ、祀典挙ラズ。逐二綱紀ノ不振ヲ馴致セリ。朕深ク之ヲ慨ク。方今更始ノ秋、新二東京ヲ置キ、親臨シテ政ヲ視将こ先ズ祀典ヲ興シ、綱紀ヲ張り、以テ祭政一致ノ道ヲ復サントス。乃チ武蔵国大宮駅氷川神社ヲ以テ当国ノ鎮守ト為シ、親幸シテ之ヲ祭ル。自今以後歳ゴトニ奉幣使ヲ遣シ以テ永例ト為サン。 次で同年十月二十八日明治天皇当神社に行幸、御親ら祭儀を執り行わせられ更に三年十一月一日再び御親祭あらせられました。この時の御行列は非常に荘厳で京都からの御遷都と同様の御盛儀であったといわれます。此の様に明治天皇が御親祭あらせられたのは桓武天皇平安遷都の折賀茂社をお祀りした御例によられたものといわれ、その模様を謹写した山田衛居筆の氷川神社行幸絵巻物は今も当社の社宝として大切に保存されて居ります。次で明治四年五月十四日官幣大社に列せられました。同九年奥羽御巡幸の節には米田侍従番長を御代拝として参向せられ、同十一年八月三十一日三度の行幸御参拝あらせられました。昭和九年昭和天皇の御参拝、昭和三十八年十月には今上陛下が皇太子殿下の御時、御参拝になられております。昭和四十二年十月明治天皇御親祭百年大祭が執り行われ、社殿、その他の諸建物の修復工事が完成、十月二十三日には、昭和天皇・皇后両陛下お揃いにて親しく御参拝を賜りました。昭和六十二年七月には今上陛下が皇太子殿下の御時、同妃殿下とお揃いにて御参拝になられ、平成五年五月には天皇・皇后両陛下の御参拝を賜っております。 又氷川神社名の神社は大宮を中心にして埼玉県下及び東京都下、神奈川県下に及びその数実に数百をかぞえます。今日県下だけでも百六十余社に及ぶことは御神威の高く尊きによるとは申せ武蔵国造の子孫がこの大宮の地を本拠として民族的政治的に著しい発展をしたことを物語って居るものと考えられます。 |
体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り一の宮 |
概要 | 氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県さいたま市大宮区高鼻町一丁目にある神社。式内社(名神大社)、武蔵国一宮を称する(ないし三宮)勅祭社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される神社の1つ。 東京都・埼玉県近辺に約280社ある氷川神社の総本社である。他の氷川神社と区別する際は「大宮氷川神社」とも呼ばれる。 |
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歴史 | 歴史[編集] 前史[編集] 社伝によれば、孝昭天皇3年4月の創建という[1]。「国造本紀」によると、初代无邪志国造の兄多毛比命は成務天皇(第13代天皇)の時代に出雲族をひきつれてこの地に移住し[2]、祖神を祀って氏神として、当社を奉崇したという。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}この一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造(无邪志国造)は出雲国造と同族とされ、社名の「氷川」も出雲の簸川(ひかわ)に由来するという説がある。[要出典] 一方、氷川神社の摂社に「門客人神社」がある(現在も...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「氷川神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102536233 |
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