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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※秩父神社ではいただけません

ちちぶじんじゃ

秩父神社

埼玉県 秩父駅

投稿する
0494-22-0262

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印・御朱印帳

御朱印

秩父神社の御朱印

300円
直書き

真ん中に秩父神社と書かれ、右上に知知夫国総鎮守秩父宮家ゆかりの社の印、真ん中と左下に秩父神社の印が押されています。

御朱印帳

秩父神社では、秩父夜祭と全国一の宮の2種類の御朱印帳が頒布されています。
秩父夜祭の御朱印帳は、全部で5色あります。

秩父夜祭の御朱印帳

1,500円
約16×11cm
赤、紺、緑、水、藤

表面は秩父夜祭の花火と花笠がデザインされ、右上に知知夫総鎮守秩父神社の文字、左上に御朱印帳の文字が入っています。
赤色、紺色、緑色、水色、藤色の5色あり、藤色は例祭期間とお正月限定の御朱印帳です。

全国一の宮御朱印帳

表面に全国一の宮御朱印帳と書かれた、全国一の宮巡拝会発行の和綴じの御朱印帳です。
2006年、秩父神社は全国一の宮会により知知夫国新一の宮に選定されました。

授与場所・時間

御朱印・御朱印帳ともに、本殿に向かって右側にある授与所でお受けできます。

御朱印の受付時間は8時30分~17時。

詳しくは公式サイトをご確認ください。

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御朱印について
御朱印
あり

右上には『知知夫国総鎮守』、真ん中には『秩父神社』の印が押されています。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

無料駐車場あり/約50台

巡礼

秩父神社について

オススメ!日本三大曳山祭り


日本三大曳山祭りは、京都の祇園祭、飛騨の高山祭にならぶ秩父神社の例大祭です。
毎年、12月2・3日に行われ、祭りの2日間では、38万人以上が来場するなど大変な賑わいです。
また、ネスコ無形文化遺産にも登録が決定されるなどさらに盛り上がる祭りになるかもしれません。

よく当たると評判!水占い


おみくじを引き、神門近くの禊川に浮かべると、おみくじの運勢が浮かび上がります。
珍しいおみくじで、よく当たると評判になっています。
週末には、関東からの参拝客が多く訪れ賑わいの場所となっているようです。

おすすめの投稿

惣一郎
2021年05月23日(日)
973投稿

秩父神社は、埼玉県秩父市にある神社。式内社、武蔵国四之宮(加盟>知知夫国一之宮)。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。秩父地方の総鎮守。三峯神社、宝登山神社とともに「秩父三社」の一社。武蔵総社六所宮である大國魂神社(東京都府中市)には武州六大明神の四之宮として祀られ、同社の例大祭「国府祭」(現「くらやみ祭」)では神輿も巡行される。
当社の例祭「秩父夜祭」(12月1日~6日;「六日市」)の屋台行事と神楽は、「山・鉾・屋台行事」(18府県の計33件)の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録されている。また日本三大曳山祭(※)の一つで、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。

社伝によると、第10代天皇・崇神天皇の時代(紀元前97年~紀元後30年)に、知々夫彦命が初代知々夫国造として任命され、その祖神・八意思兼命を奉祀したことに始まる。のち允恭天皇年間(412年~453年)に知知夫彦命の九世子孫である知知夫狭手男が知知夫彦を合わせて祀ったといわれる。
平安時代927年の『延喜式神名帳』では「武蔵国・秩父郡 秩父神社 小」と記載された。律令制度の崩壊により、当社を支えた地方豪族の勢力が弱体化し、当社も衰微した。鎌倉時代に落雷により社殿が焼失し、再建する際に、鎮守府将軍・平良文の流れの秩父平氏から信仰されていた妙見菩薩を合祀し、以降、明治時代の神仏分離まで延喜式記載の「秩父神社」ではなく「秩父大宮妙見宮」の名称で繁栄した。
明治時代に入り、近代社格制度で国幣小社に列格、妙見菩薩と習合していた天之御中主神に祭神を改め、社名を「秩父神社」と改めた。

当社は、秩父鉄道・秩父駅の南西100mの位置にあり、南側の大鳥居までは200m。境内周辺は市街地化されている。境内は樹木は多くないが、旧国幣小社格として十分な広さがある。近隣には秩父まつり会館など関連施設がある。

この日、寺社仏閣巡り用に購入したバイクが納車されたため、慣らし運転のために秩父ツールングに出掛け、秩父エリアの中心神社として当社に参拝した。参拝時は週末の昼前で、コロナ禍の外出自粛の影響なのか、参拝者はちらほら程度だった。

※京都・八坂神社の「祇園祭」、飛騨高山・日枝神社の「高山祭」、埼玉・秩父神社の「秩父夜祭」の3つ。「秩父夜祭」の代わりに、滋賀・長浜八幡宮の「長浜曳山祭」を入れることもある。なお、4つの曳山祭とも、ユネスコの無形文化遺産に登録されている。

秩父神社の鳥居

境内南側の<鳥居>と<社号標>。交差点にある。

秩父神社の手水

鳥居くぐって左側にある<手水舎>。精密な彫刻がとにかく美しい。柱にも手抜かりなくきれいな文様。

秩父神社の建物その他

手水舎の後方、少し離れたところにある<神楽殿>。

秩父神社の建物その他

鳥居くぐって右側にある<神馬舎>。

秩父神社の建物その他

参道進んで右側、神馬舎の左隣にある<平成殿・社務所>。

秩父神社の山門

参道進んで<神門>。透塀で囲まれた神域は、一段高いところにある。

秩父神社の本殿

神門をくぐって、境内全景。参道上には、疫病退散の<茅の輪>が設置されていた。

秩父神社の本殿

<社殿>全景。江戸幕府開幕前の1593年に徳川家康の寄進により造営。

秩父神社の本殿

拝殿正面。権現造。社殿彫刻の「つなぎの龍」(本殿左側)「子育ての虎」(拝殿正面右側)は左甚五郎の作。

秩父神社の芸術

拝殿正面の<扁額>。<知知夫神社>の文字。明治以降の制作。

秩父神社の芸術

拝殿正面の右側にある「子育ての虎」の彫刻。江戸時代初期の伝説的彫刻職人・左甚五郎の作と言われる。
代表作としては、日光東照宮の「眠り猫」、三井寺(園城寺)の「閼伽井屋の龍」などがある。

※参拝時、社殿右側は修復工事中で、もう一つの左甚五郎の作品「つなぎの龍」は残念ながら見られなかった。

秩父神社の建物その他

拝殿右側にある<授与所>。御朱印はこちら。

秩父神社の末社

本殿右手にある<皇大神宮>。

秩父神社の末社

本殿背後にある<天神地祇社>。

秩父神社の末社

<天神地祇社>は、全国の一之宮を中心として計75座の神々が祀られている。
これは祭神である八意思兼命が、多くの神々の意見を纏め、折々の聖断を下す神であるという神話に基づいている。

秩父神社の芸術

本殿後ろ側の彫刻。写真中央に<北辰の梟>の彫刻。(かなり小さい...)

秩父神社の末社

本殿左手にある<豊受大神宮>。

秩父神社の芸術

本殿左側の彫刻。写真左側に<お元気三猿>の彫刻がある。

秩父神社の芸術

拝殿左側の彫刻。これだけ美しい彫刻であれば、江戸時代には相当なインパクトがあったであろう。(その頃は、妙見信仰の対象であったようだが...)

秩父神社の建物その他

拝殿の左手にある<神饌所>。

秩父神社の自然

神饌所と参道の間にある<秩父宮妃殿下御手植銀杏>。1933年に秩父宮両殿下ご親拝の際、秩父宮勢津子妃殿下が御手植の銀杏が女性の乳房のように成長したため、「乳銀杏」とも呼ばれ親しまれているとのこと。

秩父神社の建物その他

神門をくぐってすぐの、境内左側にある<神降石>。

秩父神社の鳥居

神降石の後ろに建つ<柞稲荷(ははそいなり)神社>。

秩父神社の末社

柞稲荷神社の右隣に建つ<諏訪神社>

秩父神社の末社

諏訪神社の右手に建つ<日御碕宮(ひのみさきぐう)>。

秩父神社の建物その他

日御碕宮と神饌所の間に立っている<諏訪神社御柱>。

秩父神社の本殿

最後にもう一度、とにかく彫刻が美しい社殿全景。

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ひろっく
2021年11月16日(火)
42投稿

埼玉県秩父市 秩父神社。知知夫国総鎮守。
秩父三社が一社、御鎮座2100年を迎えた古社。街の中心に鎮座し、本殿の壁面の彫刻が荘厳美麗。されどされど、一部修繕中により「よく見て・よく聞いて・よく話す」お元気三猿が拝めず。再訪しなきゃ。参道に出店があるのも久しぶりに見ました。

【ご由緒】
秩父神社のご創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。
元慶2年(878年)には神階正四位下に進み、延長5年(927年)に編算された『延喜式』にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。また、中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めましたが、明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復しました。その後、昭和3年には國幣小社の社格となり、現在は神社本庁の別表神社となっています。平成26年には御鎮座2100年を迎え、同年12月3日の例祭において天皇陛下より臨時御奉幣を賜り盛大に祭典が執り行われました。
現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。また、毎年12月3日に行われる例祭は、「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財と重要有形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられています。平成28年には、全国33件の祭からなる「山・鉾・屋台行事」の1つとして、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界無形文化遺産に登録されました。

秩父市グルメ②観光地の中心なので何でもござれ。参道に繋がる番場通りに有名店が並ぶ。洋食のバリー食堂、揚げ物の安田屋、喫茶カルネ、パーラーコイズミ、まほろバル。御花畑駅の方に戻るが、松村甘味食堂のお稲荷さんが私は好き。

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歴史

秩父神社のご創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。

元慶2年(878年)には神階正四位下に進み、延長5年(927年)に編算された『延喜式』にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。また、中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めましたが、明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復しました。

現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。また、毎年12月3日に行われる例祭は、「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられています。

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秩父神社の基本情報

住所埼玉県秩父市番場町1-1
行き方

秩父鉄道秩父駅より徒歩3分

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名称秩父神社
読み方ちちぶじんじゃ
通称妙見さま
参拝時間

6:00~20:00

御朱印あり

右上には『知知夫国総鎮守』、真ん中には『秩父神社』の印が押されています。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0494-22-0262
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.chichibu-jinja.or.jp/
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》八意思兼命,知知夫彦,《配》天之御中主神,秩父宮雍仁親王
創建時代紀元前87年(崇神天皇11年)
本殿権現造
ご由緒

秩父神社のご創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。

元慶2年(878年)には神階正四位下に進み、延長5年(927年)に編算された『延喜式』にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。また、中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めましたが、明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復しました。

現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。また、毎年12月3日に行われる例祭は、「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられています。

体験おみくじ御朱印重要文化財祭りアニメなどサブカル一の宮

Wikipediaからの引用

概要
秩父神社(ちちぶじんじゃ)は、埼玉県秩父市番場町にある神社。式内社、武蔵国四宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。 秩父地方の総鎮守である。三峯神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。12月の例祭「秩父夜祭」で知られ、秩父夜祭(秩父祭の屋台行事と神楽)は「山・鉾・屋台行事」(18府県の計33件)の1つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されている。
歴史
歴史[編集] 創建[編集] 秩父神社の社殿と参道の南側延長線上に武甲山(時代によって武光山、秩父嶽、妙見山などとよばれる)があり、元々は武甲山を神奈備として遥拝する聖地であったと考えられている。 『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、八意思金命の十世孫の知知夫彦命は崇神天皇(第10代天皇)の時代に初代知々夫国造に任命され、「大神を拝祠」したという。この「大神」は知知夫彦命の祖である八意思兼命をさすと考えられ[1]、秩父神社ではこれをもって神社の創建としている[2]。さらに允恭天皇年間に知知夫彦命の九世子孫である知知夫狭手男が知知夫彦を合わせて祀ったといわれる。地域名の「秩父」の名を冠...Wikipediaで続きを読む
行事
祭事[編集] 御田植祭(4月4日) 秩父川瀬祭(7月19・20日) 境内社の日御崎神社の祭。江戸時代に京都の八坂神社の祇園祭が秩父に入ってきたものである。幕末・明治から付祭として屋台・笠鉾も曳かれるようになり、現在では8基の屋台・笠鉾を曳く。 7月19日(宵宮) - 天王柱立神事、お水取り神事 7月20日(川瀬神事) 番場町諏訪神社祭礼(9月27日) 有名ではないが、古い文献によると川瀬祭よりも重要性が高かったと考えられている。数年に一度(不定期)、諏訪大社の御柱祭にならって御柱を曳く。 例祭(秩父夜祭、12月1日-6日) 6日間行われることから「六日市」と呼ばれ、絹の取引で栄えた。また...Wikipediaで続きを読む
引用元情報秩父神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A7%A9%E7%88%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=90760273

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