こんだはちまんぐう
誉田八幡宮公式大阪府 古市駅
授与所
午前8:30~午後16:30
御朱印 | 古来より伝わる、木印を復刻した御朱印になります。 応神天皇陵の南に鎮座している誉田八幡宮という意味である、「河内國恵我藻伏岡陵南鎮座譽田八幡宮」と記されています。また、御朱印の上下には、八幡様のお使… | ||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
大阪府羽曳野市の誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)と應神天皇 惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)にご参拝させていただきました☺️
①当宗神社(まさむねじんじゃ)
ご祭神
素戔嗚尊(すさのおのみこと)さま
山陽公さま
(式内社)(境内末社)
②ご本殿
ご祭神
中座 誉田別尊(ほむたわけのみこと)さま
應神天皇(おうじんてんのう)さま
右座 神功皇后(じんぐうこうごう)さま
左座 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)さま
(旧府社)
③應神天皇 惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)拝所
それぞれで 畏かしこみ畏かしこみ身滌大祓(みそぎのおおはらい)をご奏上させていただきました☺️
「行かなくてはいけない」と感覚的に行動したのですが いつもながら境内はスカーっとした空気で広々としてとても気持ちがよくて やはりこの神社が大好きなんだと思いました☺️
祝詞のとき紙垂しでが揺れて風の動きを感じることが最近たびたびです。もっともっと集中できるように精進していきたいと思います。きょうも空から見守っていただいているように感じました🐉 ありがたいことです😊
精進して また つぎも ご参拝させていただけますように☺️
一対の向かい合った鳩🕊はと(八幡さん神使)
宗廟(そうびょう)とは 祖先 特に君主の祖先の霊をまつるための建物のこと。
誉田八幡宮が宗廟と呼ばれるようになったのは 室町時代 永享5年(1433年)に足利義教が奉納した「誉田宗廟縁起絵巻」によります。
また、誉田八幡宮は日本最古の八幡宮とも言われています🧐
大阪府羽曳野市にご鎮座される誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)にはじめてご参拝させていただきました🥹🙏👏🌿応神天皇陵(全国2位の巨大古墳)の南側にご鎮座される日本最古の八幡宮です☺️🙏👏🌿(旧社格 府社)
広い境内の長ーい参道を歩くとすかーっとした空気が気持ちいいです🥹🚶🙏👏🌿
当宗神社(まさむねじんじゃ)で身滌大祓みそぎのおおはらいをご奏上させていただき、それからご本殿に向かい身滌大祓みそぎのおおはらいをご奏上させていただきました🥹🙏👏🌿子供達の健康とこれからの幸せをご祈念させていただきました☺️🙏👏🌿神さまに届きましたでしょうか☺️🙏👏🌿
『延喜式』神名帳に大社とされていた式内社の当宗神社(まさむねじんじゃ)からご参拝させていただきました🥹🙏👏🌿最古の八幡宮であり最強の(最恐)のパワースポットでの細心を図はかります😲🧐🙏🌿
当宗神社(まさむねじんじゃ)
ご祭神
素戔嗚尊(すさのおのみこと)さま
(旧ご祭神 山陽公さま)
ご本殿
ご祭神
中座 応神天皇(おうじんてんのう)さま
右座 神功皇后(じんぐうこうごう)さま
左座 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)さま
翌日 応神天皇陵、誉田御廟山古墳(ほんだごびょうやまこふん)に ご参拝させていただきました🥹🙏👏🌿 正面の拝所に立って身滌大祓みそぎのおおはらいをご奏上させていただきました☺️🙏👏🌿陵墓のスケールが大きくて すかーっと広い空間で祝詞をはじめてあげられてとても気持ちよかったです🥹🙏👏🌿神さまに届きましたでしょうか🥹🙏👏🌿
祝詞のりとを終えてから龍神🐉さまにお会いできたと思います☺️🙏👏🌿いつも見守ってくださって本当にありがとうございます🥹🙇🏻♂️👏🙏🌿
また ひとつ 拠り所よりどころが増えました😊👏🙏🌿精進してつぎもまたご参拝させていただけますように🥹🙏👏🌿
この「八の字」はご祭神 八幡さんの使い
とされる一対の鳩🕊🐦はとを表している
と教わりました🧐🥹👏🌿
当宗神社
当宗神社(まさむねじんじゃ)のご祭神は現在は素戔嗚尊(すさのおのみこと)さまですが 当初は「当宗忌寸(まさむねのいみき)」の祖神の山陽公さまを祀まつっていました🧐🌿『延喜式』神名帳に大社となっていたようで古くは有力な神社だったそうです🧐🌿一説に当社が大社に列せられたのは宇多天皇の母方の祖母が当宗氏の出身だったため血縁関係から重視されたからとも言われていると教わりました🥹🙏🌿
安産社🥹🌿
この場所は神功皇后さまが応神天皇さまを出産されるとき槐(えんじゅ)の木を刈り取って産屋を造ったところ応神天皇さまが誕生されたという故事があります🧐🥹🙏🌿
南大門🥹🌿
こちらの南大門は神社の門ではなく江戸時代に八幡宮の神宮寺であった長野山護国寺の門だそうです🧐🥹🙏👏🌿
宝物庫🥹🌿
惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)は
宮内庁が管理する御陵名🥹🥺🙏🌿
誉田御廟山古墳(ほんだごびょうやまこふん)は
古墳名と教わりました🧐🥸🙏🌿
この地域は歴史上 数多くの激戦が繰り広げられた場所でしたが 誉田八幡宮は争いに巻き込まれながらも現在まで残り続けたそうです🧐🥹🙏🌿
大阪府羽曳野市にある応神天皇陵後円部に鎮座し、欽明天皇の命で6世紀後半に創建され、古くから祭祀を司ってきたと伝えられる神社です。 応神天皇は、八幡様としておまつりされ、八幡宮は、全国に約4万4千社あるといわれています。
主祭神は、中座 応神天応、左座 仲哀天皇、右座 神功皇后の3柱の神様を併せ、誉田八幡宮と称しておまつりされています。
当初は、天皇陵の後円部に社殿がありましたが、平安時代中期の永承6年(1051)に後冷泉天皇が現在地に社殿を造営し、誉田八幡宮と称したといわれています。 (応神天皇の諡[おくりな]が誉田天皇[ほむたのすめらみこと]でした)。
中世に入ってから源氏一族の氏神として崇敬され、鎌倉時代以降は、戦の神として足利、豊臣、徳川などの各時代の将軍、一般の武士らの参拝も盛んになりました。 現在は、安産の神、厄除けの神として地域の方たちに親しまれています。
本殿と拝殿は、江戸時代に再建されたもので、境内の宝物館には、丸山古墳出土の金銅透彫鞍金具(こんどうすかしぼりくらかなぐ/古墳時代・国宝)や源頼朝寄進の塵地螺鈿金銅装神輿(ちりぢらでんこんどうそうしんよ/鎌倉時代・国宝)など多くの宝物が保管されています。
5月8日の夏祭り(藤祭り)には、午後1時より舞楽が奉納され、9月15日の秋祭りには、午後8時より、神輿が本殿から応神陵へ神幸する神事が行われます。 ※行事開催は変更になる可能性があります。詳しくは公式ホームページでご確認ください。
名称 | 誉田八幡宮 |
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読み方 | こんだはちまんぐう |
参拝時間 | 授与所
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参拝料 | 本殿無料 拝観庫 初穂料400円 ※土曜日の午後からのみ拝観いただけます。 |
トイレ | 本殿と社務所の間にあります。 |
御朱印 | あり 古来より伝わる、木印を復刻した御朱印になります。
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限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 072-956-0635 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | kondahachimangu@gmail.com |
ホームページ | https://kondahachimangu.com/ |
おみくじ | あり |
河内飛鳥古寺霊場 客番 | 御本尊:八幡大神 |
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ご祭神 | 中座 応神天皇、左座 仲哀天皇、右座 神功皇后の3柱の神様を併せ、誉田八幡宮と称しておまつりしています。 |
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文化財 | 金銅透彫鞍金具(国宝・古墳時代) 塵地螺鈿金銅装神輿(国宝・鎌倉時代) |
ご由緒 | 大阪府羽曳野市にある応神天皇陵後円部に鎮座し、欽明天皇の命で6世紀後半に創建され、古くから祭祀を司ってきたと伝えられる神社です。 応神天皇は、八幡様としておまつりされ、八幡宮は、全国に約4万4千社あるといわれています。
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