からくにじんじゃ
辛國神社大阪府 藤井寺駅
9:00〜16:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
東大阪での予定が終わり、家路に就こうとすると…
「藤井寺に寄らへん?」との天の啓示が(;^_^A
「熊野詣でちょっと疲れたって言うてへんかった?」
と問い返すと…
「ノープロブレム」との御回答(;^_^A
ということで一路 藤井寺へ!!
最初に辛國神社様へお詣りさせて頂きました。
辛國神社様は物部氏が祖先をお祀りしたのが始まりとされています。
その後、春日大社の天児屋根命を合祀したことから、近世にかけて「春日社」と称すようになられたそうです。
この辺りの地名が春日丘というのも、それに由来しているとの説もあります。
明治には再び辛國神社の社名に戻られ現在に至っています。
当社は今から千五百年程前、雄略天皇の御代に創建された神社で、平安時代には官社となり、式内社として人々の尊信を集めてきた神社です。
日本書紀には「雄略十三年春三月、餌香長野邑を物部目大連に賜う」とありますが、餌香長野邑は、現在の藤井寺市辺りといわれています。この地方を治めることになった物部氏は、その祖神を祀ったもが当神社の始まりでその後、物部同族の辛國連が祭祀の中心となり辛國神社と称するようになりました。
三代実録には、清和天皇「貞観九年二月二十六日河内国志紀郡辛國神社を官社に預る」とあります。元の神社は恵美坂の西南神殿にあったと思われます。室町時代(義満の頃)河内守護職畠山基国氏が社領二百石を寄進して、現在地に神社を造営し、奈良春日大社に懇請してその祭神、天児屋根命を合祀したと伝えられています。
明治四十一年、長野神社の祭神素戔嗚命を合祀して現在に至っています。
名称 | 辛國神社 |
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読み方 | からくにじんじゃ |
参拝時間 | 9:00〜16:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 072-955-2473 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.karakunijinjya.jp/sp/ |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
ご祭神 | 《主》饒速日命,天児屋根命,《配》品陀別命,市杵島姫命《合》素盞嗚命 |
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創建時代 | 雄略天皇時代 |
本殿 | 三間社流造 |
ご由緒 | 当社は今から千五百年程前、雄略天皇の御代に創建された神社で、平安時代には官社となり、式内社として人々の尊信を集めてきた神社です。
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概要 | 辛国神社(からくにじんじゃ)は、大阪府藤井寺市にある神社。式内社で、旧社格は村社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 「辛国」という名称は、かつてこの地を治めていた物部氏の一支族であり、役小角の弟子であり呪術者の韓国広足を輩出した辛国連に由来している[1]。創建は不詳であるが、日本書紀の雄略天皇13年3月条に「餌香長野邑を物部大連に賜う」とあることから、その頃に領地を賜った物部氏が祖先である饒速日命を祀ったことから始まり、辛国連が祭祀を司ったものと考えられる[2]。日本三代実録には貞観9年(867年)9月26日に官社に列せられたという記述があり、延喜式神名帳では官幣小社に列している[2]。この時代には恵美坂の西南にあったようである[1]。 中世に入り、河内守護である畠山基国が社領200石を...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 歳旦祭(1月1日) 節分祭(節分の日) 春日稲荷祭(春分の日) 水無月の大祓式(6月30日) 夏祭(7月17日) 御例祭(10月17日) 月次祭(毎月1日) |
引用元情報 | 「辛国神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%BE%9B%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=90124934 |
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