こうきじ|高野山真言宗|神下山
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楽しみ方高貴寺のお参りの記録一覧

少し雨が強くなってきたのですが、高貴寺様にお参りに向かいました。
高貴寺様は文武天皇の勅願で役行者が開山したと伝えられています。
元々の寺名は「神下山香花寺」だったのですが、弘法大師が滞在された時に高貴徳王菩薩の示現を見たために「高貴寺」と変更されたそうです。
その後、戦乱に巻き込まれたりで衰えてましたが,1776年に後に「葛城神道」を創唱した慈雲尊者が入寺され再興されていきました。
現在は高野山真言宗の御寺様となっておられます。
境内に入るとワンコが熱烈に歓迎してくれました。
ワンコの案内に導かれ、お参りしていると奥之院の文字が目に入ります。奥之院へお参りするには、御堂にある投票箱のような箱に一句詠んで投函するという風流な決まりがあります。
高貴寺様のような風情のある御寺様であれば、すぐに詠めると思います。
御住職はまだ若い方でワンコがエサをあまり食べないことと番犬にならないことを優しい眼で語られていたのが印象に残りました。
帰りは気配を察知したワンコが山門をまで再び案内してくれました(^-^)
⭐境内は撮影禁止なので注意して下さい。








(河内西国観音 特別客番)
(河内飛鳥古寺14番)
(河内飛鳥七福神 弁財天)
約1200年前、役行者によって開創されたと伝えられています。
のちに弘法大師が来山、密法修行中に高貴徳王菩薩を感得し、それで高貴寺と呼ばれるようになります。勅命により金堂、講堂、東西両塔、経蔵、鐘楼堂、大門が創建され、五大明王を刻し、伽藍の本尊とされました。また国家と寺門繁栄のためにと弁財天像が刻され講堂に安置されました。
は四方に輝いたと伝えられています。1331年、平岩氏が平石城を拠点に北条軍と戦った折に、当寺は堂宇ことごとくを焼失しました。
以来寺はすたれたまま近世に至ります。1776年、慈雲尊者が当寺に来住し、僧坊を整備、正法律宣布の根本道場に一新しました。
明治以後は金剛峯寺末に属することになります。
河内と大和をつなぐ道にありますが、秘境といってもしっくりくる地でした。
ご住職がとてもユニークで、御朱印も頂くには、一句必要。奥の院行くには、一句。
必死で捻り出しましたが、ダメ出しくらいました。
結果、奥の院は道が迷路になっていると言われて断念しましたが、絶対もう一度お参りしたいです。
境内は、撮影禁止でしたので、本堂などはwebよりお借りしています。

御朱印(河内西国観音 特別客番)

御朱印(河内飛鳥古寺14番)(河内飛鳥七福神 弁財天)

縁起

寺号標

宝篋印塔

山門

境内への道

道場の土壁

道場門

境内

開山堂

金堂

講堂

御影堂
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