えいふくじ|太子宗|磯長山
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楽しみ方叡福寺のお参りの記録一覧
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(西山国師十六遺跡15番)
(新西国三十三観音客番)
(仏塔古寺十八尊2番)
(聖徳太子霊跡6番)
(神仏霊場巡拝の道 大阪16番)
(河内西国観音21番)
(河内飛鳥古寺15番)
すごく行きたかったところです。
聖徳太子のほか、母・穴穂部間人皇后、そして妃の膳部大郎女が葬られている陵墓(三骨一廟)があり、それを守るために、推古天皇が建立して724年に聖武天皇が大伽藍を整備したと伝えられています。「上の太子」とも呼ばれ、太子信仰が盛んだった平安時代に、野中寺の「中の太子」https://hotokami.jp/area/osaka/Hmatz/Hmatztk/Dzasa/9047/183857/、大聖勝軍寺の「下の太子」https://hotokami.jp/area/osaka/Hmata/Hmatats/Dktktt/8488/158626/とともに、「河内三太子」として多くの人々の巡礼を受けました。
戦国時代末期には織田信長の焼き討ちにより寺は全焼しましたが、1603年、豊臣秀頼が「聖霊殿」を再建しました。以降は「多宝塔」なども順次再建され、現在に至っています。
叡福寺は聖徳太子ゆかりの寺として、歴代の天皇や権力者が参拝しており、また日本仏教の開祖として賛仰されて空海・良忍・親鸞・日蓮・一遍など新仏教の開祖となった僧たちが、墓所があるこの寺に参籠したことが知られています。
境内は、御廟に向かう斜面に伽藍が整備されていて、澄んだ空気がいっぱいです。
聖徳太子と言えば、一万円札(古い?)や教科書の中の人物だったのが、こうして御廟の前に立つと
本当にいらっしゃった人なんだと、改めて思うのでした。
とてもいいお参りでした。

《聖徳太子ご霊跡巡り その6》
聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳(磯長墓)がある叡福寺です。
三太子の一つで、野中寺の「中の太子」大聖勝軍寺の「下の太子」に対して「上の太子」とも呼ばれます。
生前、620年に聖徳太子はこの地を墓所と定めたとされ、翌年に母が没しここに葬られました。さらにその翌年、太子と妃が相次いで没し追葬されたそうです。太子の没後、伯母にあたる推古天皇が、墓守りの住む堂を建てたのが叡福寺の始まりとされています。
その7へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgts/Hmgtstk/Dktmza/14707/171179/
その5へ
https://hotokami.jp/area/osaka/Hmatz/Hmatztk/Dzasa/9047/167575/


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