えいふくじ|太子宗|磯長山
叡福寺のお参りの記録一覧
神仏霊場巡拝の道 第57番
10台程の駐車スペース、平日でしたがほぼ満車でした。
最奥には聖徳太子の御廟があり、他にも境内にある多くの建造物や文化財を見ることができます。
今度は時間をかけてゆっくり見物したいと思います。
御朱印
聖徳太子御廟所。
11月3日から5日まで金堂内拝ができるとあり、早速拝観させていただいた。
宝蔵も土日祝日のみ開館とのこと。
ご本尊は高さ90cmの如意輪観音の坐像。聖徳太子の本地が観世音菩薩であるという平安朝以来の信仰に基づいているそう。脇侍は不動明王と愛染明王。
聖徳太子御廟
二天門
浄土堂
経蔵
科長岡神社
見真大師堂
金堂
念仏堂
宝塔
聖霊殿
客殿
聖光明院
南大門
聖徳太子遺跡 6番
神仏霊場
新西国三十三箇所 客番
叡福寺に参詣しました。聖徳太子御廟所。上之太子。
御朱印
聖徳皇太子磯長御廟の碑
宝塔
金堂
聖徳太子御廟
二天門
聖徳太子御廟
聖徳太子三骨一廟ご縁起
太子廟窟偈
五字ヶ峰
宝筐印塔
太子くん
マンホール
喜志駅
上ノ太子駅
御朱印
御朱印
過去分
叡福寺 参拝日 令和5年2月26日
新西国霊場客番と仏塔古寺十八尊霊場第二番の御朱印を頂きました
南大門
南大門
金剛力士像
金剛力士像
宝塔
金堂
見真大師堂
聖徳太子御廟
念仏堂
新西国霊場宝印帳のページ
新西国霊場客番の御朱印
塔街道御宝印帳のページ
聖徳太子の御廟がある叡福寺に参拝しました。七堂伽藍を有する広い境内の一番奥が太子御廟。人も少なくてゆっくり拝観できました。昨年は聖徳太子1400年で様々な法会や催しがありましたが今は静か。大師様もほっとされた?
御朱印いただきました。
南大門。
宝塔。江戸初期だそうです。
金堂。ここで参拝になります。
金堂を横から。右手奥が太子御廟です。
太子御廟。宮内庁管轄。
車で5分程度のきっちんあかりさんでランチ。ごちそうさまでした。
聖徳太子の磯長墓の円古墳のある叡福寺にお詣りさせていただきました。導かれる様に「上の御堂」を通り「五字ヶ峰」に登山することができ「宝篋印塔」を拝むことができました。また、当敷地内の科長岡神社にもお詣りすることができました。聖徳太子の「和」の文字が象徴する優しさのある空間だと感じました。太子とお妃さまと実母さま三人で眠っておられるということでした。荘厳であって優しさにあふれた磯長墓空間の中でぼーっとしてエネルギーをいただくことができました。ぜひ、精進してまたお詣りさせていただけます様に。
堂々とした風格を感じます🥹🙇🏻♂️🙏
磯長墓を横から見ると円墳であることがわかります☺️🙏ぐるりと石塔で結界がしいてあります🌿🙏
この立て札が目に入り五字ケ峯の宝篋印塔を訪れることができました🥹🙏
導かれるように訪れました🥹🙏
五字ケ峯 宝篋印塔
古墳の裏(北)の山の頂上🥹🙏
聖徳太子はこの山から五色の光が昇るのを見てこの地を墓所と定めたということです☺️🙏
(西山国師十六遺跡15番)
(新西国三十三観音客番)
(仏塔古寺十八尊2番)
(聖徳太子霊跡6番)
(神仏霊場巡拝の道 大阪16番)
(河内西国観音21番)
(河内飛鳥古寺15番)
すごく行きたかったところです。
聖徳太子のほか、母・穴穂部間人皇后、そして妃の膳部大郎女が葬られている陵墓(三骨一廟)があり、それを守るために、推古天皇が建立して724年に聖武天皇が大伽藍を整備したと伝えられています。「上の太子」とも呼ばれ、太子信仰が盛んだった平安時代に、野中寺の「中の太子」https://hotokami.jp/area/osaka/Hmatz/Hmatztk/Dzasa/9047/183857/、大聖勝軍寺の「下の太子」https://hotokami.jp/area/osaka/Hmata/Hmatats/Dktktt/8488/158626/とともに、「河内三太子」として多くの人々の巡礼を受けました。
戦国時代末期には織田信長の焼き討ちにより寺は全焼しましたが、1603年、豊臣秀頼が「聖霊殿」を再建しました。以降は「多宝塔」なども順次再建され、現在に至っています。
叡福寺は聖徳太子ゆかりの寺として、歴代の天皇や権力者が参拝しており、また日本仏教の開祖として賛仰されて空海・良忍・親鸞・日蓮・一遍など新仏教の開祖となった僧たちが、墓所があるこの寺に参籠したことが知られています。
境内は、御廟に向かう斜面に伽藍が整備されていて、澄んだ空気がいっぱいです。
聖徳太子と言えば、一万円札(古い?)や教科書の中の人物だったのが、こうして御廟の前に立つと
本当にいらっしゃった人なんだと、改めて思うのでした。
とてもいいお参りでした。
御朱印(聖徳太子霊跡6番)
御朱印(新西国三十三観音客番)
御朱印(河内西国観音21番)
御朱印(神仏霊場巡拝の道 大阪16番)
御朱印(河内飛鳥古寺15番)
御朱印(仏塔古寺十八尊2番)
御朱印(西山国師十六遺跡15番)
御朱印(聖徳太子1400年限定)
聖霊殿
金剛力士像(阿形)
金剛力士像(吽形)
多宝塔
金堂
二天門
持国天像
増長天像
磯長御廟(聖徳太子御廟)
上の御堂
石塔
五字ヶ峯 宝篋印塔
浄土堂
鐘楼
科長岡神社
見真堂
経蔵
弘法大師堂
念仏堂
手水
境内より御廟方面
塔頭 聖光明院
隔夜堂
境内図
大阪府太子町にある叡福寺です。
新西国客番の札所にもなっています。
聖徳太子の御廟があるお寺です。
今年は1400年の記念の年です。
叡福寺入口です。
聖徳廟の額装が飾られてます
本堂です。
記念の御朱印頂きました
新西国客番の御朱印頂きました
《聖徳太子ご霊跡巡り その6》
聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳(磯長墓)がある叡福寺です。
三太子の一つで、野中寺の「中の太子」大聖勝軍寺の「下の太子」に対して「上の太子」とも呼ばれます。
生前、620年に聖徳太子はこの地を墓所と定めたとされ、翌年に母が没しここに葬られました。さらにその翌年、太子と妃が相次いで没し追葬されたそうです。太子の没後、伯母にあたる推古天皇が、墓守りの住む堂を建てたのが叡福寺の始まりとされています。
その7へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgts/Hmgtstk/Dktmza/14707/171179/
その5へ
https://hotokami.jp/area/osaka/Hmatz/Hmatztk/Dzasa/9047/167575/
《ご朱印》
第6番「上之太子」
《南大門》
《境内》
《金堂》
《多宝塔》
《聖霊殿》
《古墳遠景》
《二天門》
《叡福寺北古墳》
時刻は正午。
読経の声が墓所に響きます。
(-人-)ナムナム
《中段結界石と下段結界石》
仏教の興隆に力を注いだことから日本仏教の開祖とされる聖徳太子。この日も多くの人が墓所を訪れていました。
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