きんゆうじ|真言宗御室派|一乗山
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金熊寺の御朱印・御朱印帳
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🍁梅の花で有名な金熊寺梅林‼️ 🌸金熊寺(きんゆうじ)🙏 🍁大阪府泉南市にある真言宗御室派の寺院である。一乗山と号し、本尊は如意輪観音である。寺伝によると、役小角が開創したという。
🌼当山の開基は682年(天武天皇10年)、役行者が夢のお告げにより、土中より6寸の金銅像を得、自らも4寸の木像を刻し、3間4面の堂を建立して安置したのを始まるとする。寺名は役行者が当寺の鎮守として金峯・熊野の両神を勧請し、信達神社に合祀したことに因むという。その後、後鳥羽院(1183~98年)の熊野参詣の途上に金熊寺権現社に参拝があるなど、鎮護国家の宏大な堂塔であったと言われる。
鎌倉末期の正安元年(1299年)には永仁の徳政令の煽りで焼き討ちに遭い、諸堂が罹災したが、本尊と薬師堂は焼失から免れたという。1312年(応長2年)、1338年(歴応2年)との修復を重ね、元の形に近い形に戻った。
1585年(天正13年)豊臣秀吉の根来攻めの兵火に遭ったが、1654年(承応2年)信達村13ヶ村の人々の善意により再興し、現在に至っている。
1691年(元禄4年)の『寺社境内坪数御改帳』には鎮守社(現信達神社)、薬師堂、観音堂、地蔵堂、神主屋敷などを含め境内は4万7400坪余と記され、広大な敷地であったようである。金熊寺は多くの堂、塔頭を総称する一山であったが、現在は塔頭観音院のみが残り、金熊寺の寺跡を継いでいる
☘️役行者は、夢告によって土中から六寸の金銅像を得て、自らも四寸の本尊木像を刻して、三間四面の堂を建立して安置したと記されている。
寺名は、役行者が当寺鎮守として金峯・熊野の両神(権現)を勧請したことにちなんでつけられた。天正13年(1585年)、羽柴秀吉の紀州攻めで焼失したが、その後再建され、寛文5年(1665年)岸和田藩主岡部氏から山林と新田を寄進された。
場所⛩️ : 大阪府泉南市信達金熊寺813
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