かんだじんじゃ
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感田神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2018年01月23日(火)
参拝:2018年1月吉日
貝塚駅で途中下車した一番の理由がこの神社をホトカミサーチで見つけたからです。
名前がね、どうして「感田」なんだろうって。
行ってみてびっくり。
大通りから向かったので到底神社だとは気づかなかったんですよ(苦笑)
だって鳥居が無い。
でも正門はここじゃなかったんですよね。わき道から行くのが正しい方向だったようで、ここもよく考えてみれば「貝塚御坊」に向かって建っているんですよ。ここのお寺さんも全部その方向に正面を向けている。
以前は「神田瓦大明神」と言われ、お寺さんが管理されていた神社さんだったようですが、明治の神仏分離でお寺さんの方が廃寺となり、僧侶が管理していたこの神社に新たに神主が派遣されたようです。
まぁ、その名残なんでしょうね、この門は。
で、名前なんですが、HPが無くなってしまっていたので、他の方がまだあった頃の説明書きを転写されていたのを発見して、更に転写しますと、
「600年程前、小村であった旧貝塚市に村の発展のため神様をまつろうと、年寄衆が山城国愛宕郡八坂郷の感神院から須左之男大神を、伊勢より天照皇大神を、京都の北野より菅原道真公をお迎えして氏神としてお祭りしたのが始まりで、その頃は地名に因み「神田明神」、または社地が神田河原と称されていたため、神田河原大明神とも呼ばれていました」とありました。
「瓦」とあったのも後々変わったんですね。「河原」が本来の名前だったとは。
どうして瓦なのかと言うと最初のお社が焼き物で作った小社だったそうなんですって。
この神社境内には「寺内町」の名残である壕の一部が残っていました。
この壕でぐるりと囲って寺内町としていたようですね。
名前がね、どうして「感田」なんだろうって。
行ってみてびっくり。
大通りから向かったので到底神社だとは気づかなかったんですよ(苦笑)
だって鳥居が無い。
でも正門はここじゃなかったんですよね。わき道から行くのが正しい方向だったようで、ここもよく考えてみれば「貝塚御坊」に向かって建っているんですよ。ここのお寺さんも全部その方向に正面を向けている。
以前は「神田瓦大明神」と言われ、お寺さんが管理されていた神社さんだったようですが、明治の神仏分離でお寺さんの方が廃寺となり、僧侶が管理していたこの神社に新たに神主が派遣されたようです。
まぁ、その名残なんでしょうね、この門は。
で、名前なんですが、HPが無くなってしまっていたので、他の方がまだあった頃の説明書きを転写されていたのを発見して、更に転写しますと、
「600年程前、小村であった旧貝塚市に村の発展のため神様をまつろうと、年寄衆が山城国愛宕郡八坂郷の感神院から須左之男大神を、伊勢より天照皇大神を、京都の北野より菅原道真公をお迎えして氏神としてお祭りしたのが始まりで、その頃は地名に因み「神田明神」、または社地が神田河原と称されていたため、神田河原大明神とも呼ばれていました」とありました。
「瓦」とあったのも後々変わったんですね。「河原」が本来の名前だったとは。
どうして瓦なのかと言うと最初のお社が焼き物で作った小社だったそうなんですって。
この神社境内には「寺内町」の名残である壕の一部が残っていました。
この壕でぐるりと囲って寺内町としていたようですね。
神門
南門
本殿
七之社・海幸戎神社(事代主神)
二之社・潜戸(くけと)神社(サキ貝比賣神・スゼリ比賣神・大国主神・倉稲魂神)
一之社・八品神社(天櫛玉命)・琴平神社(大物主命・崇徳天皇)・淡島神社(少彦名命・大巳貴命・オキナガタラシ姫命)
左から四之社・住吉神社(底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后)、三之社・神明神社(天照大御神・豊受姫命)、五之社・春日神社(建御雷之男神・伊波比主神・天児屋命・比売神)
六之社・初姫稲荷神社(倉稲魂命・大宮女命・猿田彦命)
寺内町の壕
すてき
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