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なんしゅうじ|臨済宗大徳寺派龍興山

南宗寺のお参りの記録一覧
大阪府 御陵前駅

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nahi
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2017年09月03日(日)222投稿

先日、荒木村重の墓といわれるものを伊丹で見た。しかし、没したのは道薫となって移住した堺だと聞いた。そしてこの南宗寺がそれだと知ったので見に来た。古田織部の作と伝えられる方丈前の枯山水庭園や龍の天井画がある仏殿が素晴らしかった。残念ながら道薫の墓は何もなかった(ガイドの方に質問したところ、南宗寺はもともと現在の阪堺電車・宿院駅付近にあったそうで、移転してしまっているのでわからないということだった)。しかし師匠である千利休をはじめとする千一族の供養塔をはじめ、保護に篤かった三好長慶の墓も見学(写真撮影不可)。宮本武蔵の師匠として有名な沢庵宗彭もこの寺の一凍紹滴に師事し、32歳のときその法号を授けられている。

 ここには幕府にゆかりのある東照宮があったのだが、戦時中の空襲で失われている。焼け跡を掘ったところ、何者かわからない墓が出て来たという。これがなぜだか家康のものだと言われだしたのはその後のことである。後藤又兵衛に家康が殺されこの寺に葬られたという説で、その根拠となるのは秀忠と家光が将軍に就いた際、熱心にここへ詣でた、という故事にある。この2人がここへ来る共通した理由はよくわかっていないそうだが、それは家康が葬られているからではないか?
 
 こんな飛躍すぎるようなことを考えた人がいる。水戸徳川家家臣として、そして水戸光圀の命の恩人として名前を残す三木之次の子孫・三木啓次郎氏である。彼は熱心に説き、ついには碑建立まで努めた。現在もそのとき建立された微笑ましい石碑が境内にある。そこには松下幸之助の名も刻まれていたりする。三木は松下幸之助にとって、一生頭の上がらない存在だったそうだ。例えば四天王寺境内での二股ソケットを巡って諍いに巻き込まれた際、三木に仲裁してもらったのが2人の出会いで、結果的にこののち彼が幸之助を公私ともに援助することになり、世界の松下へと進化していくきっかけを作っている。そして、のちにナショナル劇場枠で水戸黄門をテレビシリーズとしてスタートさせたのは水戸にゆかりの濃い三木であり、どのスポンサーもしり込みする中、一社提供という形で協力したのはほかならぬ松下幸之助であった。

 なぜこんなトンデモ説を松下幸之助が支持したのかは、大人の事情で断れなかったんだなと眺めるのがよさそうだ。

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