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いばらきじんじゃ

茨木神社のお参りの記録一覧
大阪府 茨木市駅

まるこびっち
2024年01月12日(金)
227投稿

10日戎のお祭りがあり、お参りしてきました。
氏神さまの摂社になりますが、子供のころ、よく連れられて行った記憶があります。
笹を買って、玉をもらい、その玉を開けると、買った笹に玉の中にある「お宝」の
名前のグッズをつけてもらう。そして、その笹を持って、戎さまの前の舞台で巫女さん
が踊ってくれる。戎さまに捧げた「舞」が終わると、巫女さんから笹をいただいて帰る。
という手順は今でも変わりません。
10日戎は、さまざまな神社で行われているのでしょうね。にぎやかでよかったです。

茨木神社(大阪府)

ご拝殿です。11日「しまい戎」だったので「混んでいる」というところまではいかず、
ほどよい賑わいでした。

茨木神社(大阪府)

戎神社は、ご本殿から南側50メートルほどのところに鎮座されています。

茨木神社(大阪府)

神社の舞台で巫女さんが踊っています。その前には大きなまぐろが奉納されていました。

茨木神社(大阪府)

東門から阪急の駅にむかう商店街へ・・・

茨木神社(大阪府)

東門の鳥居です。茨木神社の鳥居は北摂地震の際、倒壊はしなかったものの
結構ダメージを受けているのか、金属で補強されていました。

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まるこびっち
2023年07月23日(日)
227投稿

今日は日曜日・一粒万倍日・大安で「晴れ」という「よい日」につき、氏神さまに早朝おまいり
にあがらせていただきました。ご拝殿は令和に新しくなりましたが、小学生のころよく遊んだ
ご本殿の裏は昔のままで、なんだか懐かしさがこみあげてきました。今の子供たちは「缶蹴り」
なんてしないのかな。

茨木神社(大阪府)

神社の西側にある旧茨木川跡の緑道にある「茨木童子」の石像。
茨木市の中心地「高橋」の欄干の上です。

茨木神社(大阪府)

緑道が工事中のため、反対側の「茨木童子」はこんな感じ。

茨木神社(大阪府)

南側の鳥居から境内を撮影。朝7時前だったので、誰もいませんでした。

茨木神社の手水

手水場です。センサーで人が近づくとお水が出ました。

茨木神社(大阪府)

ご拝殿です。

茨木神社(大阪府)

ご拝殿側から南向けに境内を撮影。

茨木神社(大阪府)

ご拝殿は新しい建物ですが、くっついているご本殿は昔のままでした。

茨木神社(大阪府)

ご本殿の北側(裏側)・・・ここは昔のままです。お稲荷さま、皇大神社などが鎮座されておられます。お伊勢さまと思っていたお社は奥宮さまだったとわかりました。よく缶蹴りなどしていました。

茨木神社(大阪府)

東門は茨木城の搦手門を移築したものだそうです。お城は現在の茨木小学校の地
にありました。

茨木神社(大阪府)

南門を出て、西側JR茨木駅方向に歩くと、市役所が見えます。その前には
新しい市民会館のような建物が建築中。ここも昔は公園だったのですが・・・

茨木神社(大阪府)

郵便ポストにも茨木童子。街中は茨木童子推しなんです。

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穏暖
2023年03月30日(木)
518投稿

しばらくぶりの茨木神社参拝。といっても御朱印いただくのは初めてです。
長らく本殿その他の建て替えがされてましたが、昨秋に遷宮なされました。ただ初詣はすごい混雑だったので体調も考慮し断念。今になりました。

807年に天石門別神社として始まり、江戸時代に茨木神社として新たな社殿を立て、天石門別神社は奥宮という位置づけになったようです。ご祭神は建速素盞嗚尊。
真新しい本殿は綺麗です。華やかではないですが清い感じがします。気になっていたのでなんだかちょっとほっとしました。

茨木神社の御朱印

初めての御朱印。シンプルですが正統派。

茨木神社(大阪府)

社号標と大鳥居。

茨木神社(大阪府)

扁額です。茨木神社、天石門別神社とあります。

茨木神社(大阪府)

大鳥居を潜って参道へ。

茨木神社(大阪府)

恵比寿神。

茨木神社(大阪府)

こちらは東門。

茨木神社(大阪府)

そして再建なった本殿。

茨木神社(大阪府)
茨木神社(大阪府)
茨木神社(大阪府)

稲荷社

茨木神社(大阪府)

本殿を裏から。この部分は古い構造が残っているように見えます。

茨木神社(大阪府)

天石門別神社(奥宮)。これ以外に天満宮、主原神社、多賀神社がありましたが。写真取り損ないました。

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ますみん
2021年09月21日(火)
822投稿

ほぼ地元の神社です。
というのも、通っていた高校のすぐそばなのです。懐かしいですね。
807年、坂上田村磨が荊切の里を作った際、今は奥宮となっている天石門別神社が創建されたのに始まると伝えられています。
 後に楠木正成が茨木城を築くに当たって現在の位置へ遷座し、以後代々城主の崇敬を受けています。
 織田信長は統治手段としてキリスト教保護、一方で社寺の破壊を行っていたが、天照大御神、春日大神、八幡大神、牛頭天王だけは、さすがの信長も恐れて破却しなかったので、天石門別神社は社名を隠し「牛頭天王社」と号して破却を免れ、また後になって素戔嗚尊を実際に合祀したといわれています。
境内は、川に沿って南北に長く、本殿奥に、天石門別神社があります。
本殿は現在改築中で覆いに囲まれていましたので、仮拝殿にてお参りしました。
また、東門は、かつての茨木城の搦手門が移築されています。
境内の奥には、黒井の清水があり、豊臣秀吉が茶の湯に使用したと言われています。

茨木神社の鳥居

社号標と鳥居

茨木神社の建物その他

忠魂碑

茨木神社の建物その他

境内

茨木神社の末社

恵比寿神社

茨木神社の山門

搦手門

茨木神社の歴史

搦手門について

茨木神社の本殿

修復工事前の拝殿

茨木神社の本殿

仮本殿

茨木神社の本殿

本殿裏側

茨木神社(大阪府)

厳島神社

茨木神社の末社

多賀神社 主原神社 天神社

茨木神社の末社

皇大神社

茨木神社の末社

天石門別神社

茨木神社の末社

愛宕神社

茨木神社の末社

皇大神宮

茨木神社(大阪府)

稲荷社

茨木神社の建物その他

黒井の清水

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