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呉服神社の御朱印・御朱印帳
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呉服(くれは)神社


呉服神社 西国七福神 恵比寿神

呉服(くれは)神社

呉服(くれは)神社

呉服神社 西国七福神 恵比寿神

呉服(くれは)神社

呉服神社 西国七福神 恵比寿神

阪急宝塚本線「池田」駅のすぐ近くに鎮座。
「呉服神社」と書いて「くれはじんじゃ」と読みます。
名前から想像されるとおり、服飾関係者の信仰を集めています。
境内に一歩踏み入れるとまず拝殿のステンドグラスに目を奪われます。
「こんな拝殿はあまり見たことないな」と思い近づきながらふと狛犬さんに目を移すと、とてもお洒落な前掛けをしているじゃないですか。
境内が全体的に優しい空気に包まれており、ほんわかとした気持ちになれる神社でした。
境外に掲げられた御縁起より
大阪府呉服里池田市にかしこくも鎮座まします。
日本最初「繊維」の祖神呉服大神の御由緒を左に申述べます。
人皇第十五代 応神天皇の御代に猪名津彦命を中国の呉の国に遣わし機織裁縫の工匠をおもとめになりました。その時、久礼波(くれは)・久礼志(くれし)の二人を案内役として呉の国に趣き、呉王に乞うて呉服・綾織・兄媛・弟媛の四人を伴い渡来することとなりました。
帰路九州の筑紫鴻に着きましたが兄媛は胸形明神の御望みにてこの地にお留りになり他の媛は摂津の国武庫の浦にお着きになりましたので、猪名の港(今の唐船ヶ渕)に機殿を建て呉服媛をお迎え致しました。
呉服の神女は昼夜怠りなく布帛を織り少しも倦み給う事がなかったと申します。この時より機織裁縫染色の技術が我国に伝わり、男女寒暑の服装の別が定まりました。尚四季には上妙の衣服を天子に献じ下は万民に施されました。
仁徳天皇の七十六年(385)九月十八日呉服の大神は御齢百三十九才という人生に倍する御長寿を以てお隠れになり、その御遺体を今にその跡を残す梅室、姫室にお納め申し上げました。その翌年仁徳天皇が勅令を以て御神祠をお建てになりました。
この大神が糸を様々にお染め分けになった所を染殿井と称し、その糸を掛け晒しになりました松を絹掛松と名付けその跡は今も残って居ります。
大神の御託宣に「我は衣服の神となり人をして寒暑の憂なく、養蚕機織絹布裁縫の道を守護し、且つ船路遥かにこの日本に帰化せし故海上の難おも無からしめん」とあります。
代々の帝殊に御崇敬篤く、円融天皇御代には鎮守府将軍源満仲公が社祠を修復、又下って御陽成天皇の御代には豊臣秀頼公が片桐且元を奉行に命じて再建の事があり、文政二年には有栖川宮殿下の御祈願所となりました。近年になって昭和四十四年新拝殿の御造営が相なりました。
因みに呉服大明神の御名は後醍醐天皇より賜りました御宸翰より起り、又これにより我国にて絹布の類をすべて「呉服」と称する事となりました。
省みまするに五穀を作るすべを授け万民に飢餓の憂の無い事は天照大神の御神徳であると等しく機織裁縫の道を教えて寒暑の憂なきはこの大神の御遺徳に他ならずと信じます。この故を以て衣服の業に従い、並びにその産物を商うものはおしなべてその祖神たる呉服大神を崇敬すべき事は論を俟たぬ事であり、古来より健康長寿・家業繁栄・文化・経済・手芸上達の神徳があるといわれています。





神門

拝殿




本殿


両皇大神社


稲荷大明神

こちらの狛狐さんもお洒落です


左から
市杵島媛神 大物主神 大国主神 素盞嗚神 国常立神 猿田彦神



恵比須神社

恵比須神社 本殿

恵比須神社の本殿横
恵比須様は耳が遠いためこちらで大きな音を出して気付いてもらいます

天満宮


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