おおさかごこくじんじゃ
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楽しみ方大阪護國神社のお参りの記録一覧
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全国に五十二社ある護国神社のうちの一社、大阪護國神社を参拝いたしました。 ご祭神は明治維新以後の大阪府出身ならびに縁故の殉国の英霊105,665柱です。 日中戦争の頃、英霊の崇敬の機運が高まったことで昭和13年(1938年)に建設計画が発案され昭和15年(1940年)に仮社殿での鎮座祭が行われましたが、正式な社殿を竣工したのは大東亜戦争激化およびその敗戦により昭和38年(1963年)にまで及ぶことになったそうです。 戦後には、GHQによる神道指令の影響下における存続対策として、仁徳天皇を御祭神とした「浪速宮(なにわのみや)」と改称しましたが、サンフランシスコ講和条約締結後の昭和27年(1952年)に大阪護國神社に復称します。 こうした経緯から奉安殿に仁徳天皇を、その相殿に東郷平八郎を遺髪と共に祀るようになったようです。 4月でありながら少し歩くと汗ばむような気温となった日曜日、大阪メトロ四つ橋線にて住之江公園駅下車、一番出口から出ると直ぐに大きな鳥居が現れます。 隣接して住之江公園、近隣には競艇場(ボートレース住之江)がありますが一歩境内に入るとさほど喧騒も感じられず、静かな中お詣りが出来ました。 広い境内には多くの慰霊碑の他、特攻兵士を顕彰する像や、多くの兵士を支えた母親を讃える像などがありました。
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トラック島で戦死なされた24歳の方がお父様にあてた手紙が「英霊の言の葉」として啓示されています。日本人として背筋が伸びる思いがしました。
日本は戦争に負けて、戦後世代は手のひらを返して軍人を断罪したようですね。傷痍軍人に敬意を払うどころか、疫病神扱いの仕打ちもあったようです。
いまの時代「結果がすべて」というようなことをいう方が多くおられると思います。様々な価値観がみとめられるべきというのであれば、それもよいでしょう。
結果だけを見て評価、断罪するのであれば、だれも成功の見込みの薄い努力しなくなります。たとえ勝算の見込みの薄いことでも人間立ち向かわなければ課題が人生にはたくさんあるはずです。
「効率重視や失敗を恐れる若者」なんていわれてますけど、これが本当なら戦後の価値観(とテストの結果しか見ない)教育がうまく機能したということでしょう。さてその顛末は、我々とその次の世代が受け止めることになります。
私個人はどんなことがあっても、どんな結果になろうとも果敢に課題に挑戦する人間に最大限の敬意を払うと決めてあります。
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