なかみちやさかじんじゃ
中道八阪神社のお参りの記録一覧
今日は環状線の東側を南下する感じで走りました。途中で巡り会った神社です。入りくんだ住宅街の中に鎮座されています。参道を入って行くと大きな御神木もある広い境内がぱっと開けます。東側の鳥居から出ると昔ながらの銭湯がありました!昭和です!
次の予定までまだある… って事で向かったのが
⛩ 大阪市東成区 玉造 "中道八坂阪神社"
大和橋通を東に進み平野川沿いのかなり狭い道に入っていくと境内。鳥居を潜れば境内Pだけど入るのも狭いので要注意。駐める場所もハッキリしてなかったので気を使って駐めましょーlol 最寄りの玉造駅は徒歩圏内。
こちらの御朱印は珍しいのは御祭神の印が押されるトコ。また摂社の⛩"玉造戎神社"も頂ける。こちらは恵比寿様の印。この感じ… 上がるっlol
書いて頂いたのは多分…奥様lol 丁寧な対応をして頂きました。ありがとうございました。初 東成区だったけどまた独特な雰囲気の街だった。
御祭神の御朱印
摂社 玉造戎神社
恵比寿様の御朱印
前から気になっていた神社です。やっとご縁あって参拝できました。🤗携帯のナビ片手に探し歩いて到着。
いただいた略記によると、関白藤原道長が東成郡中道法性寺なるところに別邸を建て、素戔嗚尊・菊理姫命の同一神とされる牛頭天王・白山権現を、鎮守の神として奉祀されたのが始まりだそうです。明治五年に八坂神社と改められています。境内に、玉造戎神社と松本稲荷神社もありました。玉造戎神社は、島根県の美保神社より事代主大神を御分霊いただき、また出雲の国より大国主大神をお招きし御鎮座いただいているとの事です。
御朱印を授かったあとで、神社の方から裏にある玉垣のご説明をしていただきました。
かつて大阪城の玉造門は黒塗りであったことから黒門と呼ばれていました。近くに流れる猫間川に、幕府の命によって橋が架けられたのは慶安3年(1650年)のこと。橋には大阪城の石垣を用いられました。架けられた橋は黒門橋と名付けられましたが、大阪で初めての石造りの橋であったため大変珍しがられ、「石橋」と呼ばれて親しまれたそうです。江戸時代には「お伊勢参り」の出発点として賑わった石橋ですが、大正3年(1924年)に廃橋となり、土地の氏神である当社に大阪市より石材として寄付されました。現在は神社の記念碑や西側の玉垣の一部に使われております。 ⛩中道八坂神社ホームページより⛩
教えていただかなければ素通りするどころか、知らぬまま立ち去るところでした。ありがとうございました。🙇♀️御朱印も素敵でした。🥰
美しいデザインの社殿です!
重みある一言です。
神馬が!
どうも柵で上手く撮影出来ず!😣
玉造戎神社
松本稲荷神社
この石碑にも使われています。
裏側にある石橋の説明板です。
ちょっと見つけにくいところにあります。
きっと地元の人しかこの奥に神社があるとは気づかないでしょう。
昭和臭漂う街並みにひっそりとたたずむ神社です。
風変わりな鳥居が路地を進むとあります。
そして境内に石橋の一部が保管されています。
かつて、神社の南側に「猫間川」という川が流れていました。
そこにかかっていた石橋は慶安三年(1650)に架けられた公儀橋で、正式名は「黒門橋」といいます。その時代、珍しい橋だったそうで、ここは伊勢参りに行く道中で前には二軒茶屋があり、ここで見送り人と別れの宴をするのが贅沢の一つだったようです。
風変わりな鳥居
石橋の一部
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