れいえんじ|曹洞宗
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齢延寺のお参りの記録一覧

生國魂神社様から下がらせて頂き、生玉寺町筋を南に向かいました。
小さめの野球場を越えると齢延寺様が見えてきます。
齢延寺様は曹洞宗の御寺様で、御本尊は釈迦牟尼佛(釈迦如来)をお祀りされています。
1623年に志摩国鳥羽の領主であった稲垣重種公が父母の菩提のを弔うために、三河の豊川から義春和尚を拝請して真田山に建立したのが始まりです。
1632年に現在地に移転されています。
平成に客殿、、庫裡、南大門、御本堂などを建て替えられています。
境内には正月のお墓参りの方がたくさん居られました。
二階建ての南大門では木造の仁王様を拝観することが出来ました。また、柱の彫刻はかなりのもので目を奪われてしまいました。

天王寺七坂の一つ源聖寺坂を上がった所にある曹洞宗寺院。
立派な二階に鐘楼がある門をくぐってお参りです。
山門は鐘楼門と呼ばれ、二階に鐘楼と十六羅漢があります。
庫裏。
本堂です。

齢延寺へ久しぶりに向かう。堺事件で切腹をまぬがれた9人の土佐藩士のうちの1人・田丸勇六郎の墓を見学。彼の子はのちに本家の鍋井家を継ぐ。大阪信濃橋で洋画研究所を開く洋画家鍋井克之その人である。
山門脇にも石碑が出ている、大阪の学問所「泊園書院」を創立した藤沢東咳。当時大阪でもっとも栄えた塾で、あの陸奥宗光も学んでいたりする。そして東咳の子で、通天閣の命名者として知られる藤沢南岳など藤澤一族の墓が並ぶ一角。それから土佐勤王党員だった安岡覚馬の兄・安岡恒之進らの眠る墓も再訪。ちなみに彼らの父である安岡源右衛門の弟・安岡文助の次男が、あの吉田東洋暗殺の実行犯の一人であった安岡嘉助だそうである。
藤澤一族の近くに、偶然「油屋太右衛門」と刻まれた墓があった。思い出したのは、尼崎の大物にあった「山本文之助鑑光之墓 残念さん」。あそこの墓石には、長州藩と取引のあった大阪の油屋喜平のものである「油」のマークが刻まれていたが、これも同じものではないかと思われる。
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