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こうづぐう

高津宮の御由緒・歴史
大阪府 谷町九丁目駅

ご祭神《主》仁徳天皇,《配》仲哀天皇,応神天皇,神功皇后,葦姫皇后,履仲天皇
創建時代886年(貞観8年)
創始者清和天皇
ご由緒

当宮は浪速の地を皇都(高津宮たかつのみや)と定められ大阪隆昌の基を築かれた仁徳天皇を主神と仰ぐ神社であります。 仁徳天皇が高殿に昇られて人家の炊煙の乏しいのを見られて人民の窮乏を察し直ちに諸税を止めて庶民を救済されました御仁政はあまねく国民の敬慕する処であります。 その御仁政を慕い平安期の初期清和天皇の貞観八年(866年)勅命によって旧都の遺跡を探索して社地を定め社殿を築いてお祭りしたのを創始といたします。
以後世々皇室を始め時の幕府等の度々の御造営寄進を重ねて浪速津の守護神と仰がれ御神威輝き渡ったのでありますが、その後700年を経た正親町天皇の天正十一年(1583年)豊臣秀吉が大阪城の築城に際し比売古曽社の現在地に御遷座になって今日に及んでおります。
仁徳天皇の徳政を敬い大正十年に制定された大阪市歌にも「高津宮たかつのみやの昔より代々栄えをかさねきて民のかまどに立つけむりのにぎわいにまさる大阪市・・・」と歌われています。 昭和二十年三月の第二次大戦の戦火を浴び神輿庫を一つ残して社殿ことごとく焼失しました。しかし戦後氏子を始め崇敬の厚い奉賛により昭和三十六年十月社殿以下ことごとく復興完成を見ました。

歴史
歴史[編集] 難波高津宮に遷都した第16代天皇である仁徳天皇を主祭神とし、祖父の仲哀天皇、祖母の神功皇后、父の応神天皇を左座に、后の葦姫皇后と長子の履中天皇を右座に祀る。 貞観8年(866年)、清和天皇の勅命により難波高津宮の遺跡が探索され、その地に社殿を築いて仁徳天皇を祀ったのに始まる。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が大坂城を築城する際、比売古曽神社の境内(現在地)に遷座し、比売古曽神社を当社の地主神として摂社とした。1872年(明治5年)に府社に列格した。 1945年(昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲によって神輿庫を残して社殿が全て焼失した。戦後に神社本庁の別表神...Wikipediaで続きを読む
引用元情報高津宮」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%AB%98%E6%B4%A5%E5%AE%AE&oldid=102007852

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