こうづぐう
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楽しみ方高津宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月29日(水) 13時15分02秒
参拝:2026年4月吉日
■御祭神
○本座
仁徳天皇(第16代)
○右座
履中天皇(仁徳天皇の長子)
葦姫皇后
○左座
神功皇后(仁徳天皇の祖母)
応神天皇(仁徳天皇の父)
仲哀天皇(仁徳天皇の祖父)
“仁徳天皇”が高殿に昇られて、人家の炊煙の乏しいのを見られて人民の窮乏を察し直ちに諸税を止めて民衆の疾苦を救済されました事は衆知の古伝であり、その御仁政はあまねく国民の敬慕する処であります。
○本座
仁徳天皇(第16代)
○右座
履中天皇(仁徳天皇の長子)
葦姫皇后
○左座
神功皇后(仁徳天皇の祖母)
応神天皇(仁徳天皇の父)
仲哀天皇(仁徳天皇の祖父)
“仁徳天皇”が高殿に昇られて、人家の炊煙の乏しいのを見られて人民の窮乏を察し直ちに諸税を止めて民衆の疾苦を救済されました事は衆知の古伝であり、その御仁政はあまねく国民の敬慕する処であります。

鳥居

社号標

●表参道
「仁風敷宇宙」
思いやりの風が宇宙に満ち溢れる
「徳化洽乾坤」
人を思う慈しみは行動となって
天と地に広がる
頭文字を合わせて「仁徳」
「仁風敷宇宙」
思いやりの風が宇宙に満ち溢れる
「徳化洽乾坤」
人を思う慈しみは行動となって
天と地に広がる
頭文字を合わせて「仁徳」

●梅の橋
表参道の中程に小さな石の
“反り橋”があり、この橋を“梅の橋”と言い、この下を昔は“梅川”(梅津川)が流れ、道頓堀川につながっていた。
表参道の中程に小さな石の
“反り橋”があり、この橋を“梅の橋”と言い、この下を昔は“梅川”(梅津川)が流れ、道頓堀川につながっていた。

昔は、高津宮一体は梅の名所であり、道頓堀川の源流にあたる“梅川”(梅津川)が流れていた。

●梅ノ井
この地を流れていた「梅川(道頓堀川の源流とも言われる)」のほとりにあった名水です。
この地を流れていた「梅川(道頓堀川の源流とも言われる)」のほとりにあった名水です。

生駒山からの伏流水が湧き出ていたと伝えられています。

●献梅碑
「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」
「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」

論語と千字文を伝えたとされる
王仁博士が、梅の花に和歌を添えて、仁徳天皇に献上した。
王仁博士が、梅の花に和歌を添えて、仁徳天皇に献上した。

●北野恒富の筆塚
北野恒富
明治から昭和前期にかけての浮世絵師、日本画家、版画家。
高津宮参道付近に住まいしていた。
北野恒富
明治から昭和前期にかけての浮世絵師、日本画家、版画家。
高津宮参道付近に住まいしていた。

没後十三回忌の昭和三十四年に
門人達が彼の愛筆を埋納した。
門人達が彼の愛筆を埋納した。

社殿
清和天皇の貞観八年(866年)に、勅命で難波高津宮の移籍を探索して、その場所に社殿を築き仁徳天皇を祀ったのが始まりです。
清和天皇の貞観八年(866年)に、勅命で難波高津宮の移籍を探索して、その場所に社殿を築き仁徳天皇を祀ったのが始まりです。

手水舎


●歓喜歌碑
特定の楽曲の歌詞というよりは、神社ゆかりのめでたい出来事や、祭礼に関連した喜びを称えるものとして境内に設置されている記念碑の一つです。
特定の楽曲の歌詞というよりは、神社ゆかりのめでたい出来事や、祭礼に関連した喜びを称えるものとして境内に設置されている記念碑の一つです。

拝殿
縁結びや縁切り、良縁の神様です。
境内にある4つの坂が縁切りと縁結びと関係しています。
縁結びや縁切り、良縁の神様です。
境内にある4つの坂が縁切りと縁結びと関係しています。



●相合坂(縁むすびの坂)
横から見ると二等辺三角形の形をしていて、南北両方から登ることができる。男女が両方から同時に登り頂点でピタリと逢うと良縁に。
横から見ると二等辺三角形の形をしていて、南北両方から登ることができる。男女が両方から同時に登り頂点でピタリと逢うと良縁に。

●大阪市歌
全国から、2398編もの応募があり、森鴎外、 幸田露伴ら5氏が審査にあたり、香川県三豊中学校長の堀沢周安氏の作詞が入選。
『高津の宮の昔より、よよの栄を重ねきて、民のかまどに立つ煙にぎわいまさる大阪市、にぎわいまさる大阪市
なにわの春のあさぼらけ、生気ちまたにみなぎりて、物みな動くなりわいの力ぞ強き大阪市、力ぞ強き 大阪市
東洋一の商工地、咲くやこの花さきがけて、よもに香りを送るべき務ぞ重き大阪市、務ぞ重き大阪市』
全国から、2398編もの応募があり、森鴎外、 幸田露伴ら5氏が審査にあたり、香川県三豊中学校長の堀沢周安氏の作詞が入選。
『高津の宮の昔より、よよの栄を重ねきて、民のかまどに立つ煙にぎわいまさる大阪市、にぎわいまさる大阪市
なにわの春のあさぼらけ、生気ちまたにみなぎりて、物みな動くなりわいの力ぞ強き大阪市、力ぞ強き 大阪市
東洋一の商工地、咲くやこの花さきがけて、よもに香りを送るべき務ぞ重き大阪市、務ぞ重き大阪市』

絵馬殿
・三十六歌仙絵
高津宮所蔵の三十六歌仙絵は、
戦後、高津宮復興に尽力した故内藤銑太郎宮司が初願し、関西画壇の重鎮、故菅楯彦、菅真人両画伯により昭和47年に完成、以来大阪の文化的名所として多くの人々に親しまれている。
歌仙絵とは、室町時代に篇額として描かれたのが最初で、優れた歌人の姿絵に歌をそえて描いたもの。
・三十六歌仙絵
高津宮所蔵の三十六歌仙絵は、
戦後、高津宮復興に尽力した故内藤銑太郎宮司が初願し、関西画壇の重鎮、故菅楯彦、菅真人両画伯により昭和47年に完成、以来大阪の文化的名所として多くの人々に親しまれている。
歌仙絵とは、室町時代に篇額として描かれたのが最初で、優れた歌人の姿絵に歌をそえて描いたもの。


5代目 桂文枝の碑
6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝、3代目桂春団治と並び、昭和の「上方落語の四天王」と言われ、衰退していた上方落語界の復興を支えた。
6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝、3代目桂春団治と並び、昭和の「上方落語の四天王」と言われ、衰退していた上方落語界の復興を支えた。



●神輿庫
宝暦年間(1751~1764年)より戦火をまぬがれて今に至る。
入り口の向拝の天井には瓦製の龍が眼光鋭くとぐろを巻いている。
宝暦年間(1751~1764年)より戦火をまぬがれて今に至る。
入り口の向拝の天井には瓦製の龍が眼光鋭くとぐろを巻いている。

大神輿2基、小神輿2基を格納


●西坂(縁切り坂)
形状が三下り半になっていて俗に縁切り坂。諸々の悪縁を絶つ坂として知られている。
形状が三下り半になっていて俗に縁切り坂。諸々の悪縁を絶つ坂として知られている。


比売古曽神社
■御祭神 下照姫命
高津宮が同地に遷座する前からあった神社
■御祭神 下照姫命
高津宮が同地に遷座する前からあった神社

比売古曽神社

●仁徳庭園
庭園内の小路に沿って30種類以上の樹木があり、四季折々に美しい木々の風情が楽しめます。
庭園内の小路に沿って30種類以上の樹木があり、四季折々に美しい木々の風情が楽しめます。

庭園内には、野点やミニコンサート会場としても利用できます。

拝殿、幣殿、本殿

高倉稲荷神社
■御祭神 宇賀御魂神
商売繁昌、芸能の神
■御祭神 宇賀御魂神
商売繁昌、芸能の神

扁額

高倉稲荷神社
拝殿、幣殿、本殿
拝殿、幣殿、本殿




安井稲荷神社
安井九兵衛の屋敷にあったお稲荷さんである。大正元年に高津宮内に遷された。
安井九兵衛の屋敷にあったお稲荷さんである。大正元年に高津宮内に遷された。

道頓堀の開発者の一人、江戸時代の大坂三郷の1つである南組の惣年寄も勤めた。

昔から安産の神様として信仰されていたといわれており、今でも安産祈願に参る人が多く訪れる。






鉄格子歌墳
江戸時代の狂歌師。本業は鉄問屋。玄関の格子を当時めずらしい鉄にし、鉄格子波丸と号した。
江戸時代の狂歌師。本業は鉄問屋。玄関の格子を当時めずらしい鉄にし、鉄格子波丸と号した。

すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
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