御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
一心寺ではいただけません
広告

いっしんじ

一心寺のお参りの記録(1回目)
大阪府恵美須町駅

投稿日:2021年12月25日(土)
参拝:2021年12月吉日
坂枩山 一心寺

~日想観修行地・上町台地~

山号  坂枩山 (坂松山ばんしょうざん)
院号  高岳院
    髙嶽院
(松平仙千代の戒名「高嶽院殿華窓林陽大童子」から)
宗派  浄土宗
御本尊 阿弥陀如来
創建年 文治元年(1185年)
開山  法然
正式名 坂松山高岳院一心寺
別称  骨仏の寺
    源空庵

札所等 
圓光大師廿五霊跡第7番
大阪新四十八願所第39番


~・~・~・~

文治元年(1185年)の春、四天王寺の別当であった慈円の要請によって、法然が四天王寺の西門の坂のほとりに四間四面の草庵を結び「荒陵の新別所」と称し、後に「源空庵」と改名して住んだといわれています。後白河法皇が四天王寺参詣の際に訪れて法然と共に日想観を修しました。当時草庵の西は海を遠く見渡せ、極楽浄土の瑠璃の地のようであったそうです。慶長元年(1596年)、三河国の僧侶であった本誉存牟上人が法然上人の旧跡であるこの地で一千日の念仏修法を行い、寿命山観称院一心寺として再興しました。彼の一心称名をもって寺ができたため、一心寺という名になったといわれています。
慶長5年(1600年)2月、徳川家康公の8男仙千代が大坂で夭折し、その葬儀を一心寺で行われました。住持である存牟が家康公と同郷の出身であり、また家康公が浄土宗の信者であったことにもよります。家康は境内の坂の孤松のすがたを讃えて、「坂松山」の山号とその寺額を贈り、仙千代の戒名から「高岳院」の院号も贈ったため、一心寺は坂松山高岳院一心寺と改名しました。

骨仏の寺としてよく知られています。天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち、広大な境内です。
斬新な山門は、建築家でもある現長老・高口恭行氏の作品で1997年(平成9年)に完成。鉄とコンクリートで作られ、彫刻家・神戸峰男氏による阿形像・吽形像が存在感を表現わします。その他日本画家・秋野不矩による天女像)や、信徒会館である日想殿(1977年(昭和52年)完成)など現代建築による施設も見所の一つです。




大阪市天王寺区逢阪2丁目8―69

一心寺の建物その他
一心寺の像
一心寺の建物その他
一心寺の建物その他
一心寺の建物その他
一心寺の仏像
一心寺の建物その他
坂枩山
一心寺の本殿
一心寺の歴史
一心寺の建物その他
一心寺の建物その他
一心寺の末社
一心寺のお墓
一心寺の建物その他
一心寺の御朱印
~日想観~ 一心寺御朱印
圓光大師廿五霊跡
一心寺の御朱印
圓光大師廿五霊跡
一心寺の御朱印
一心寺御朱印(二)
大阪新四十八願所第39番
一心寺の建物その他
参拝の方は多くいらっしゃいましたが、御朱印を頂きに上がった時は御朱印先生を独占状態でした。こういう機会はもうないかもと思い、色んなことを教えて頂きました。御朱印先生も『圓光大師廿五霊跡』も全て巡礼されたとのことで、詳しい縁起もお話頂きお参りできて大変嬉しく心に残りました。ありがとうございました。
一心寺の建物その他
一心寺の建物その他
一心寺の山門
一心寺の山門
南門後ろにハルカス
一心寺の周辺
南門西に通天閣 大坂らしいです

すてき

御朱印

圓光大師二十五霊場
西山国師遺跡霊場
新西国三十三箇所
圓光大師二十五霊場
西山国師遺跡霊場
新西国三十三箇所
圓光大師二十五霊場
西山国師遺跡霊場
新西国三十三箇所
圓光大師二十五霊場
西山国師遺跡霊場
新西国三十三箇所
圓光大師二十五霊場
西山国師遺跡霊場
新西国三十三箇所
圓光大師二十五霊場
西山国師遺跡霊場
新西国三十三箇所

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
一心寺の投稿をもっと見る81件
コメント
お問い合わせ