いっしんじ
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一心寺ではいただけません
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一心寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年07月12日(月)
参拝:2021年6月吉日
一心寺(いっしんじ)は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺院。山号は坂松山(ばんしょうざん)、院号は高岳院。本尊は阿弥陀如来。骨仏の寺として知られる。
平安時代末期の1185年、四天王寺の別当であった慈円の要請により、法然が四天王寺の西門の坂のほとりに四間四面の草庵を結び「荒陵の新別所」「源空庵」と称して居住した。後白河法皇が四天王寺参拝の際に草庵を訪れ、法然とともに「日想観」を修した。一時廃れたが、安土桃山時代の1596年、本誉存牟上人が当地で一千日の念仏修法を行い、寿命山観称院一心寺として再興した。1600年に徳川家康の八男・仙千代が大阪で夭折し、葬儀を当寺で行ったが、家康が境内の松を讃え「坂松山」の寺額を贈り、仙千代の戒名から「高岳院」の院号を贈ったため、坂松山高岳院一心寺と改名した。1614年の大坂冬の陣では、家康の陣が茶臼山に隣接した当寺に置かれた。
江戸時代、当寺は寺社奉行直轄の檀家を持たない特別な寺院となったが衰微していたところ、天保年間(1831年~1845年)に真阿上人が庶民向けに宗派を問わず年中無休で無縁の霊を供養する施餓鬼会を始めるなどして再興した。これで評判となったが納骨が集中し、やがて限界を超えたため、1887年に納骨された遺骨を粉砕して粉にし、鋳型で固めて阿弥陀如来像を制作した。これが骨仏の始まりとなった。1945年の米軍による大阪大空襲でほとんどの伽藍や骨仏を焼失したが、戦後、伽藍は再建され、骨仏も1947年以降、10年ごとに制作されることになった。
当寺は、JR大阪環状線・天王寺駅の北西700mほどの位置にある。高台にある四天王寺の西側にあって、西に向かって徐々に下がって行く坂道の途中にある(地名は<逢坂>)。同一ブロックには動物園、美術館、庭園、古墳、学校などが混在しているが、もとは寺の境内なのかしら?伽藍はコンパクトにまとまっている。観光で行く寺院ではなく、実需があって参拝する寺院という印象。プログレッシブな構造物(仁王門・念仏堂・日想殿)と、古くからの伝統的伽藍(本堂・納骨堂)が混在した、人が絶えず、独特の雰囲気がある寺院。
今回は、大阪府で人気がある有名寺院として参拝することに。参拝時は平日の午後であったが、境内には多くの人がいた。
平安時代末期の1185年、四天王寺の別当であった慈円の要請により、法然が四天王寺の西門の坂のほとりに四間四面の草庵を結び「荒陵の新別所」「源空庵」と称して居住した。後白河法皇が四天王寺参拝の際に草庵を訪れ、法然とともに「日想観」を修した。一時廃れたが、安土桃山時代の1596年、本誉存牟上人が当地で一千日の念仏修法を行い、寿命山観称院一心寺として再興した。1600年に徳川家康の八男・仙千代が大阪で夭折し、葬儀を当寺で行ったが、家康が境内の松を讃え「坂松山」の寺額を贈り、仙千代の戒名から「高岳院」の院号を贈ったため、坂松山高岳院一心寺と改名した。1614年の大坂冬の陣では、家康の陣が茶臼山に隣接した当寺に置かれた。
江戸時代、当寺は寺社奉行直轄の檀家を持たない特別な寺院となったが衰微していたところ、天保年間(1831年~1845年)に真阿上人が庶民向けに宗派を問わず年中無休で無縁の霊を供養する施餓鬼会を始めるなどして再興した。これで評判となったが納骨が集中し、やがて限界を超えたため、1887年に納骨された遺骨を粉砕して粉にし、鋳型で固めて阿弥陀如来像を制作した。これが骨仏の始まりとなった。1945年の米軍による大阪大空襲でほとんどの伽藍や骨仏を焼失したが、戦後、伽藍は再建され、骨仏も1947年以降、10年ごとに制作されることになった。
当寺は、JR大阪環状線・天王寺駅の北西700mほどの位置にある。高台にある四天王寺の西側にあって、西に向かって徐々に下がって行く坂道の途中にある(地名は<逢坂>)。同一ブロックには動物園、美術館、庭園、古墳、学校などが混在しているが、もとは寺の境内なのかしら?伽藍はコンパクトにまとまっている。観光で行く寺院ではなく、実需があって参拝する寺院という印象。プログレッシブな構造物(仁王門・念仏堂・日想殿)と、古くからの伝統的伽藍(本堂・納骨堂)が混在した、人が絶えず、独特の雰囲気がある寺院。
今回は、大阪府で人気がある有名寺院として参拝することに。参拝時は平日の午後であったが、境内には多くの人がいた。
寺院入口。<お骨佛の寺>と書かれた塔と、後ろの鉄骨屋根は<仁王門>。
斬新なデザインの<仁王門>と<仁王像>。
本堂手前右側にある<手水>。
<本堂>全景。
<本堂>正面。
本堂の左側(境内南西部)に向かう。
こちらが<お骨佛堂>。
<お骨佛堂>正面。
お骨佛堂の左側にある<納骨堂>。
境内南東部にある<開山堂>。
開山堂の左(北)方向にある<酒封じ 本多出雲守墓>。
境内北東端にある<鐘楼>。
仁王門をくぐってすぐ右手にある<念佛堂>。
念佛堂の横の緑地にある<おばけとうろう>。かなり大きい。
境内北西部にある<信徒会館「日想殿」>
本堂と日想殿の間を抜けると、本堂脇の半地下に<納経所>。御朱印はこちら。
すてき
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惣一郎1269投稿
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