えびえやさかじんじゃ
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海老江八坂神社ではいただけません
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海老江八坂神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月05日(火)
参拝:2024年10月吉日
淀川からほど近い大阪市福島区の海老江に鎮座する八坂神社。
通称「海老の宮」とも呼ばれているそうです。
境内には南東向きと北東向きの二つの鳥居があり、私は南東向きの鳥居から入らせていただきました。
どうも正門は北東向きの鳥居で、南東向きの鳥居は南門と呼ばれているようです。
ちなみに本殿・拝殿は北東を向いていました。
帰宅後、「もしや?」と思ってグーグルさんで見てみると、本殿・拝殿が向いている先の延長線上には京都の八坂神社が鎮座されていました!
この付近一帯は昔、浪花八十島と呼ばれる多くの島の一つだったそうで、「海老洲」と呼ばれていたそうです。
そのためか、拝殿には海老の彫刻が施されていました。
なお境内はとても広いというわけではないですが、大阪にいることを忘れるくらい静かで心がすっと落ち着いていくのがわかるくらいゆったりとした空気が流れる神社でした。
なお境内に駐車場はないようだったので、車で参拝される方は要注意です。
<御祭神>
素戔嗚尊
<御由緒>~いただいたパンフレットより~
創建の詳細は不明ですが、境内には以前、天治(1124年頃)、或いは大治(1126年頃)と読み得る石灯籠がありました。
村の旧記には、永徳3年(1383年)霜月社殿再建されたとあり、文禄3年(1594年)、延宝5年(1677年)の検地では除地となった記録があります。
元亀元年(1570年)織田信長が(石山)本願寺攻にて野田城の三好党を討とうとした際、先陣の荒木村重を遣わせて、戦勝を祈り陣馬陣刀を献じたと伝えられています。
又、承応元年(1652年)氏子の先覚道意翁が尼崎新田(道意新田)を開発。
その氏神として当神社の御分霊を奉迂して祀った(現 道意神社)と伝えられています。
通称「海老の宮」とも呼ばれているそうです。
境内には南東向きと北東向きの二つの鳥居があり、私は南東向きの鳥居から入らせていただきました。
どうも正門は北東向きの鳥居で、南東向きの鳥居は南門と呼ばれているようです。
ちなみに本殿・拝殿は北東を向いていました。
帰宅後、「もしや?」と思ってグーグルさんで見てみると、本殿・拝殿が向いている先の延長線上には京都の八坂神社が鎮座されていました!
この付近一帯は昔、浪花八十島と呼ばれる多くの島の一つだったそうで、「海老洲」と呼ばれていたそうです。
そのためか、拝殿には海老の彫刻が施されていました。
なお境内はとても広いというわけではないですが、大阪にいることを忘れるくらい静かで心がすっと落ち着いていくのがわかるくらいゆったりとした空気が流れる神社でした。
なお境内に駐車場はないようだったので、車で参拝される方は要注意です。
<御祭神>
素戔嗚尊
<御由緒>~いただいたパンフレットより~
創建の詳細は不明ですが、境内には以前、天治(1124年頃)、或いは大治(1126年頃)と読み得る石灯籠がありました。
村の旧記には、永徳3年(1383年)霜月社殿再建されたとあり、文禄3年(1594年)、延宝5年(1677年)の検地では除地となった記録があります。
元亀元年(1570年)織田信長が(石山)本願寺攻にて野田城の三好党を討とうとした際、先陣の荒木村重を遣わせて、戦勝を祈り陣馬陣刀を献じたと伝えられています。
又、承応元年(1652年)氏子の先覚道意翁が尼崎新田(道意新田)を開発。
その氏神として当神社の御分霊を奉迂して祀った(現 道意神社)と伝えられています。
すてき
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