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国分寺ではいただけません
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国分寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月07日(日)
参拝:2023年4月吉日
真言宗国分寺派大本山 護国山 金剛院 国分寺
摂津国八十八箇所 第9番札所
近畿三十六不動尊霊場 第7番札所
西国薬師四十九霊場 第17番札所
おおさか十三仏霊場 第9番札所
御本尊 薬師如来坐像
第36代孝徳天皇が飛鳥から遷都した「難波長柄豊崎宮」。
孝徳天皇没後、都は再び飛鳥へと移されましたが、この長柄豊碕宮の一角に孝徳天皇の菩提を弔うために建てられた「長柄寺」が起源とされています。
天平13年(741年)に聖武天皇が国分寺創建を発願し、1国1寺を目標に国分僧寺と国分尼寺が建てられました。
摂津国ではこの長柄寺が国分僧寺として指定されました。
慶長19年(1614年)大坂冬の陣の戦火にあい全焼、その後100年ほど荒廃状態が続いたといいます。
享保3年(1718年)になり、快円律師により復興されました。
明治時代には廃仏毀釈などによって寺領は大幅に縮小されました。
さらに1945年の大阪大空襲によりほぼすべてを焼失し、現在の山門の2本の柱を残すのみとなったそうです。
1965年の昭和金堂や護摩堂などを落慶し、現在にいたるそうです。
御朱印は各霊場めぐりの御朱印以外にも特別御朱印や限定御朱印などありました。
たくさんあり過ぎて迷ってしまいましたが、今回は「近畿三十六不動尊霊場 みのり不動尊」「ご詠歌」、そして「花まつり」限定御朱印をいただきました。
摂津国八十八箇所 第9番札所
近畿三十六不動尊霊場 第7番札所
西国薬師四十九霊場 第17番札所
おおさか十三仏霊場 第9番札所
御本尊 薬師如来坐像
第36代孝徳天皇が飛鳥から遷都した「難波長柄豊崎宮」。
孝徳天皇没後、都は再び飛鳥へと移されましたが、この長柄豊碕宮の一角に孝徳天皇の菩提を弔うために建てられた「長柄寺」が起源とされています。
天平13年(741年)に聖武天皇が国分寺創建を発願し、1国1寺を目標に国分僧寺と国分尼寺が建てられました。
摂津国ではこの長柄寺が国分僧寺として指定されました。
慶長19年(1614年)大坂冬の陣の戦火にあい全焼、その後100年ほど荒廃状態が続いたといいます。
享保3年(1718年)になり、快円律師により復興されました。
明治時代には廃仏毀釈などによって寺領は大幅に縮小されました。
さらに1945年の大阪大空襲によりほぼすべてを焼失し、現在の山門の2本の柱を残すのみとなったそうです。
1965年の昭和金堂や護摩堂などを落慶し、現在にいたるそうです。
御朱印は各霊場めぐりの御朱印以外にも特別御朱印や限定御朱印などありました。
たくさんあり過ぎて迷ってしまいましたが、今回は「近畿三十六不動尊霊場 みのり不動尊」「ご詠歌」、そして「花まつり」限定御朱印をいただきました。
山門
壁の定規筋が五本、格式の高さを表していますね
記念碑の台座部分にはびっしりと文字が刻まれていましたが読めませんでした😅
本堂(昭和金堂)
本堂前の燈籠
東大寺の燈籠と同じデザインだそうですよ
東大寺の燈籠と同じデザインだそうですよ
仏足石
金光明院護摩堂
護摩堂の中を覗くと奥に不動明王さんがこちらを見ていたので護摩堂の裏へまわってみました。
護摩堂の中を覗くと奥に不動明王さんがこちらを見ていたので護摩堂の裏へまわってみました。
金光明院護摩堂の背後に立つ不動明王(みのり不動尊)
水かけ不動尊、制吒迦童子、矜羯羅童子
地蔵尊
弘法大師立像
マニ車
御朱印「近畿三十六不動尊霊場」
御朱印 ご詠歌
限定御朱印「花まつり 釋迦如来」
すてき
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