かくまんじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
鶴満寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月08日(月)
参拝:2023年4月吉日
天台真盛宗 雲松山 鶴満寺
新西国三十三箇所 第3番札所
天満橋筋沿いに位置するお寺です。
山門は基本的には閉じられているようですが、山門から少し左に進んだところから境内に入ることができます。
奈良時代に創建されたとされており、はっきりとした場所はわからないようです。
その後荒廃しますが、宝暦3年(1753年)、大阪の豪商上田宗右衛門の発願により現在地に移されました。
このとき中興の祖として京都から忍鎧上人を迎え、七堂伽藍が建つ大きな寺院だったそうです。
慈覚大師の作とされるご本尊の阿弥陀如来と地蔵菩薩が本堂に安置され、観音堂には西国三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所、坂東三十三ヶ所の各霊場と同じ観音像が計百体祀られていました。
1885年の淀川大洪水によってこの百体観音は流されてしまったそうで、その後再び観音像が百体安置されました。
新西国三十三箇所 第3番札所
天満橋筋沿いに位置するお寺です。
山門は基本的には閉じられているようですが、山門から少し左に進んだところから境内に入ることができます。
奈良時代に創建されたとされており、はっきりとした場所はわからないようです。
その後荒廃しますが、宝暦3年(1753年)、大阪の豪商上田宗右衛門の発願により現在地に移されました。
このとき中興の祖として京都から忍鎧上人を迎え、七堂伽藍が建つ大きな寺院だったそうです。
慈覚大師の作とされるご本尊の阿弥陀如来と地蔵菩薩が本堂に安置され、観音堂には西国三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所、坂東三十三ヶ所の各霊場と同じ観音像が計百体祀られていました。
1885年の淀川大洪水によってこの百体観音は流されてしまったそうで、その後再び観音像が百体安置されました。
山門
手前は本堂で奥に見えているのが八角塔形の楼閣造りになっている観音堂
改めて本堂正面
本堂手挟の彫刻
観音堂正面
観音堂は「百体観音堂」とも呼ばれています。
西国三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所、坂東三十三ヶ所の各霊場、計百体の観音像が祀られています
西国三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所、坂東三十三ヶ所の各霊場、計百体の観音像が祀られています
ご詠歌
なにわ江の昔ながらの鶴満寺今も変らぬ法のみ光り
なにわ江の昔ながらの鶴満寺今も変らぬ法のみ光り
鐘楼は現在吊るされていません。
高麗時代初期に製造された朝鮮銅鐘で国の重要文化財に指定されているそうで、盗難を避けるため公開されていないのだそうです。
高麗時代初期に製造された朝鮮銅鐘で国の重要文化財に指定されているそうで、盗難を避けるため公開されていないのだそうです。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。