いかすりじんじゃ
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坐摩神社ではいただけません
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坐摩神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年07月05日(水)
「いかすりじんじゃ」と読みます。
なかなか読めないのでみんな「ざまさん」と呼んでいるようです(笑)
元々は上町台地(*1)の突端にあった神社でしたが(大阪市中央区石町2丁目)、大阪城築城の折、ここへ移転されました。
由緒は「当社の始まりは、神功皇后が三韓征伐より帰還したとき、淀川河口の地に坐摩神を祀ったことだとされる。今でも旧社地であった坐摩神社行宮には「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石が祀られている。延喜式神名帳では摂津国西成郡唯一の大社に列し、住吉大社と同じく摂津国一宮を称している。『万葉集』の中には、難波津から西国へ向かう防人が旅の安全を坐摩社に祈る歌がある。同社の神紋が白鷺なのも、神功皇后が坐摩の神の教えにより白鷺の多く集まる場所に坐摩神を奉遷なされたことに由来する」とあります。
ここには五柱の神様が鎮座され、
生井神 (いくゐのかみ) - 井水の神(生命力のある井戸水の神)
福井神 (さくゐのかみ) - 井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神)
綱長井神 (つながゐのかみ) - 井水の神(「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ、深く清らかな井戸水の神)
波比祇神 (はひきのかみ) - 竃神(屋敷神。庭の神)
阿須波神 (はすはのかみ) - 竃神(足場・足下の神。足の神であり旅の神)
を称して「坐摩神」と呼ばれています。
西から来る穢れを祓う儀式を行うといわれるのだそうです。
また、全国の「渡辺」さんのルーツとされるのがここだそうで、世襲宮司の渡辺氏はこの都下国造の末裔でもあり、滝口武者の嵯峨源氏の流れを汲むともいわれています。
もっとも、本当の場所は石町でしょうが・・・。
神社の場所を移動すると色々わからなくなりますよね。
元あった石町にはあの酒呑童子を倒した渡辺綱の屋敷もあったと言われてます。
ここの鳥居は三つ鳥居です。
中にあるライオンの像の事もあり旧三井家と何か関わり合いがあるかもしれませんが、詳しくは判りません。
摂津国一宮のここには神社本庁の別表神社(神社本庁が定めた、神社本庁が包括している一部の神社のことである)があります。隣には陶器神社がありその神社もこの神社がお守りされています。
その関係なのか、この神社の狛犬さんは陶器で作られています。
1、、大阪平野を南北に伸びる丘陵地・台地である。大阪はこの台地を中心に歴史が始まり、周辺は海と小島と湿地帯に覆われていた。本格的に栄えた出したのは飛鳥時代。聖徳太子がここを開発していった。
なかなか読めないのでみんな「ざまさん」と呼んでいるようです(笑)
元々は上町台地(*1)の突端にあった神社でしたが(大阪市中央区石町2丁目)、大阪城築城の折、ここへ移転されました。
由緒は「当社の始まりは、神功皇后が三韓征伐より帰還したとき、淀川河口の地に坐摩神を祀ったことだとされる。今でも旧社地であった坐摩神社行宮には「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石が祀られている。延喜式神名帳では摂津国西成郡唯一の大社に列し、住吉大社と同じく摂津国一宮を称している。『万葉集』の中には、難波津から西国へ向かう防人が旅の安全を坐摩社に祈る歌がある。同社の神紋が白鷺なのも、神功皇后が坐摩の神の教えにより白鷺の多く集まる場所に坐摩神を奉遷なされたことに由来する」とあります。
ここには五柱の神様が鎮座され、
生井神 (いくゐのかみ) - 井水の神(生命力のある井戸水の神)
福井神 (さくゐのかみ) - 井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神)
綱長井神 (つながゐのかみ) - 井水の神(「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ、深く清らかな井戸水の神)
波比祇神 (はひきのかみ) - 竃神(屋敷神。庭の神)
阿須波神 (はすはのかみ) - 竃神(足場・足下の神。足の神であり旅の神)
を称して「坐摩神」と呼ばれています。
西から来る穢れを祓う儀式を行うといわれるのだそうです。
また、全国の「渡辺」さんのルーツとされるのがここだそうで、世襲宮司の渡辺氏はこの都下国造の末裔でもあり、滝口武者の嵯峨源氏の流れを汲むともいわれています。
もっとも、本当の場所は石町でしょうが・・・。
神社の場所を移動すると色々わからなくなりますよね。
元あった石町にはあの酒呑童子を倒した渡辺綱の屋敷もあったと言われてます。
ここの鳥居は三つ鳥居です。
中にあるライオンの像の事もあり旧三井家と何か関わり合いがあるかもしれませんが、詳しくは判りません。
摂津国一宮のここには神社本庁の別表神社(神社本庁が定めた、神社本庁が包括している一部の神社のことである)があります。隣には陶器神社がありその神社もこの神社がお守りされています。
その関係なのか、この神社の狛犬さんは陶器で作られています。
1、、大阪平野を南北に伸びる丘陵地・台地である。大阪はこの台地を中心に歴史が始まり、周辺は海と小島と湿地帯に覆われていた。本格的に栄えた出したのは飛鳥時代。聖徳太子がここを開発していった。
すてき
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