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ひぶせ とうきじんじゃ

火防 陶器神社(坐摩神社末社)の御由緒・歴史
大阪府 本町駅

ご祭神大陶祇神,迦具突智神
創建時代明治6年
ご由緒

 火防陶器神社は明治6年の創建であるが、その起源は明暦年間(1655~1657)にさかのぼる。信濃町(現在の西区靭本町1丁目付近)の石灰商・山田喜六の邸内に火災の難を除かせ給う愛宕山勝軍地蔵が祀られ、夏の地蔵会(7月23・24日)に通りをはさんだ南側の空地に小屋を設けて祀ったところ、多くの参拝者が訪れたという。
 延宝年間(1673~1681)には近隣の西横堀に陶器商が軒を並べ瀬戸物町が形成され、火防のご利益著しいことから特に陶器商の信仰を集めるところとなる。その陶器商らが地蔵会に蔵ざらえ品の安売りを始め、陶器造りの人形が奉納されるようになり、瀬戸物町の地蔵会として賑わいをみせた。
 明治5年には神仏分離の混乱のため地蔵会は中止を迫られるが、当時の大阪府知事渡辺昇氏らの努力により、翌年新たに火防陶器神社が創建され、地蔵会は陶器祭と名を変えて継承された。当初は地蔵会が行われていた空地の北側に建てられたが、明治40年の都市計画によってその敷地に市電が通ることとなり、翌年には坐摩神社境内に移転された。
 昭和18年には戦局激しく、陶器人形の奉納が見送られ、昭和20年には戦火により坐摩神社の社殿とともに悉く焼失し、戦後昭和25年まで陶器祭は中断を余儀なくされた。
 この間、瀬戸物町の陶器商らの尽力により、昭和26年西横堀川の西側(現在の阿波座1丁目付近)に復興し、途絶えていた陶器人形の奉納、せともの祭りも再開した。
 その後、西横堀川に阪神高速道路が建設されることとなり、昭和46年、崇敬者の浄財と各地陶芸作家諸先生の賛助を得て、再び坐摩神社の境内に現在の社殿が造営された。

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