かささぎのもりのみや
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「日本書紀」によると、6世紀の中頃、百済の聖明王の使者が欽明天皇に金銅の仏像や経典、仏具を献上。天皇は、"仏教"を受け入れるかどうかを臣下に問います。
仏教推進派は蘇我氏。仏教反対派は物部氏。聖徳太子は、仏教推進派でした。
この戦い、仏教推進派が勝利します。
"和をもって貴しとなす"聖徳太子の有名な言葉です。豪族同士が力づくで戦い、世の中を動かそうとしていた時代。異なる価値観にさぞかし驚いたことでしょう。そして、平和をねがっていたことでしょう。
聖徳太子は、たくさんのお寺を建てますが、神社も一つ建てます。それが、こちらの鵲森宮(かささぎもりのみや)神社さんです。JR大阪環状線森ノ宮駅下車、1分かかりません。(横断歩道渡りますが、青信号ならば🤭)
御祭神:用明天皇 穴穂部間人皇后 聖徳太子
創建:589年(崇峻天皇2年)




今から1433年前の589年聖徳太子は物部守屋との仏教の是非をめぐる戦いに必勝を祈願し、勝った暁には四天王像を造ることを誓う。その戦いに勝利し、太子は先ず父母の用明天皇と穴穂部間人皇后を祀り、その後、四天王像を造り、この地に「元四天王寺」を創建したと伝わる。
小さい神社でしたが当時は千石余敷地があり、1570年から80年に織田信長による石山攻めに巻き込まれ、社殿は兵火に遭い、灰燼と化したが、御霊体は別のところに奉安することにより難を逃れたそうです。
鵲森宮という社名は、推古天皇の御代に吉士磐金(きしいわかね。聖徳太子の使者)が新羅国から鵲ニ羽を持ち帰り献上し、「鵲の森」と称え、宮の名になり地名にもある「森ノ宮」といわれるようになったそうです。
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