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鵲森宮ではいただけません
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かささぎのもりのみや

鵲森宮のお参りの記録(1回目)
大阪府森ノ宮駅

投稿日:2017年10月05日(木)
参拝:2017年10月吉日
JR環状線、森ノ宮駅の名前はこの神社から来ています。
見落としそうな小さな神社ですが、私が立ち寄った時もお参りに来られる方が何人かいらっしゃいました。
御朱印が頂けるか否かを伺おうとしたのですが、残念ながら社務所が空でどなたもいらっしゃらないので不明でした。
再度チャレンジしたいと思います。

ここは聖徳太子のご両親、用明天皇と穴穂部間人皇后がお祀りされてある唯一の神社で聖徳太子が建立した神社です。
かつては広い土地があったとされ、「創建当時、「方八町にして神領神田広大」といわれるほどの社領があった。現在の城東区天王田(てんのうでん)や大東市御供田(ごくでん)はその名残だ。しかし、織田信長(おだのぶなが)の石山合戦の際、土地を略奪され、社殿も焼失した。幸い、御霊体は別所に奉安することを得たと伝えられている。現在の社殿は昭和初期に建設された。戦争当時、激しい空襲下にあったが、社殿は被害を受けず、今もその姿を残している」とありました。

信長さん、こんなところにも・・・。

元四天王寺とも言われているのは、四天王寺が現在の場所に最初からあったのではなく、この森の中に建てられたのが最初だと言われています。

日本書紀によると、鵲(かささぎ)と言う鳥は鉄鋼業の祖といわれている難波の吉士磐金(きしのいわかね)が、新羅国より帰国し、鵲(俗に朝鮮烏)2羽を献上。その鵲をこの森で飼わせたことから「鵲の森」と呼ばれ、やがて「鵲森宮」という宮の名となり、略して「森之宮」というようになったとの事。

昔は上町台地が突出し、そのほかは湾だったんですね。ですので太子はここに港を置いて海外からの物資や使者を受け入れていたのだそうです。
今では無くなってしまった名前ですが、玉造商店街あたりは「唐居町」と呼ばれ、外国からの使者を住まわせていた場所だったそうです。

小社ですが古地図にも必ず出てくる古い神社さんです。
創建:崇峻天皇二年(589年)
鵲森宮の鳥居
鵲森宮の本殿
本殿
鵲森宮の末社
五幸稲荷 火難・
 水難・盗難飢餓・産難を
 除く、宇賀御魂命を祀る
 日本唯一の稲荷社。平成に遷座されたお稲荷さんだそうです。
鵲森宮の手水
手水鉢
鵲森宮の庭園
亀井水 昔は温泉が湧いていたそうで、湯治に使われていたそうです。現在もこの辺りからぬるいながらも温泉は出るそうです。
鵲森宮の歴史
古写真
鵲森宮の鳥居
鵲森宮の建物その他
大友家持の歌碑

すてき

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