御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方100年後に神社お寺を残せる未来へ
おすすめの投稿

大阪府柏原市青谷にある「金山彦神社(かなやまひこじんじゃ)」は、平安時代の延喜式神名帳にも載る由緒ある式内社です。伊邪那岐・伊邪那美の二柱の神から生まれた鉱山・金属の神を祀り、古くから製鉄・金属業の守護神、火の神として信仰され、現在は金運・開運のパワースポットとしても親しまれています。
金山彦神社(大阪・柏原)の概要祭神: 金山毘古神(かなやまひこのかみ)特徴: 近くの金山媛神社とともに、古くから金属や火に関わる産業の守護神として信仰されてきた。ご利益: 金属産業・鍛冶・土木業の安全・繁栄、金運向上、婦人の健康。アクセス: JR大和路線「河内堅上駅」から徒歩圏内(約800m)
それぞれ神社名になっている金山彦神、金山媛神が祀られているとされています。「古事記」によれば、伊邪那美命が火之迦具土神をお産みになって病み臥せられた時に、その嘔吐物から出現した神とされていますが、「日本の神々 河内」で小林章氏は、真っ赤に焼けた鉄の表象といわれる、と付記されています。この両神の祭祀地は砂鉄や鉄鉱石の産地や製鉄集団の居住地である事が多いですが、この地もそんな場所です。なお、「日本の神々」での神社名の表記は「金山孫神社/金山孫女神社」となっていました。読みは同じです。共に『延喜式」神名帳の式内小社です。
金山彦神社の鳥居前に柏原市の掲示板があり、平成10年にこの境内で古代の製鉄実験と刀鍛冶の実演が行われ、当時1000人程の見学者が集ったと書かれていました。高さ1メートルほどの円筒形のたたら炉の写真も載せられていて、一昼夜をかけて作業が行われた結果、27キロの鉄塊が得られたそうです。地域で古いたたら製鉄の歴史を大切に保存、伝承しようとしている事が感じられました。並んで設置される神社のご由緒書きによると、鉄の重要性が増した弥生時代後期から応神河内王朝時代に至るまでこの地で製鉄が行われ、多くの富を授けて下さった偉大な神様だと説明されています。
金山彦神社はおよそ千数十年前、醍醐天皇延長5年(927)の平安時代に制定された延喜式神名帳に登載された式内社です。
御祭神の金山毘古神は、およそ千三百年前元明天皇和銅5年(712)に太安万侶によって書かれた古事記によりますと、伊邪那岐、伊邪那美、ニ柱の神様によってお生まれになったと記されています。
このお神様は古代、嶽山の嶺に奉祀されておりましたが中世にいたり、今の場所に遷座されました。かつては山王権現、八大童子社とも称されたこともありましたが、明治8年金山彦神社と改められました。
古代、当地の嶽山・竜王山を中心とする地域は製鉄業で栄えていましたので、製鉄の守護神として奉祀されたのがはじめではないかと思われます。北方の高地は製鉄を営むのに最も適した風が得られるところで、風神をお祀りしたと思われる風神降臨の聖地として御座峰が伝承されています。
文化発展の上から考えてみると、鉄の重要性が増してきた弥生時代後期より応神河内王朝にいたるまで続けられ、多くの富を人々に授けてくださった御神徳は偉大なものがあります。
御朱印は宮司様が数社管理されているので不在が多く御朱印規模の方は連絡してから参拝される事をお勧めします。
鎮座地 〒582-0012 柏原市雁多尾畑4828(金山姫神社⛩️)
金山彦神社⛩️
〒 582-0014 大阪府柏原市青谷2060

こちらの宮司さんによる直書きですが、ほぼ居られないので手に入れるのに、私は10回以上参拝してようやく、金山彦大神も金山姫大神もニ柱の御朱印をやっといただきました。なので超激レアな御朱印です。宮司様による直書きです。神職の方は宮司さまお一人で管理されている神社⛩️です。


境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|写真












金山媛神社の情報
| 住所 | 大阪府柏原市大字雁多尾畑4828番地 |
|---|---|
| 行き方 |
近くの神社お寺
周辺エリア
金山媛神社に関連する記事
おすすめのホトカミ記事

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ













