ひらおかじんじゃ
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枚岡神社ではいただけません
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枚岡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年07月08日(木)
参拝:2021年6月吉日
枚岡神社(ひらおか~)は、大阪府東大阪市にある神社。式内社(名神大社)、河内国一之宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、天児屋根命(あめのこやね)、比売神(ひめがみ)、経津主命(ふつぬし)、武甕槌命(たけみかづち)の4柱。春日大社は当社から天児屋根命、比売神を勧請したことから「元春日」とも称される。
社伝によると、創建は神武天皇即位前3年(紀元前663年)、神武東征に際して天種子命が勅命により天児屋根命・比売神の2神を東方山神の神津嶽(かみつだけ)に奉斎したことに始まる。その後、飛鳥時代の白雉元年(650年)に当地の古代氏族である平岡連(平岡氏)が神津嶽から現在地に奉還した。(なお、史料における当社の社名は、古代より「枚岡」と「平岡」の字が併用されている。)
平安時代の859年には、神階が最高位の正一位に昇叙したと国史に記載されている。また、927年の『延喜式神名帳』には「河内国 河内郡 枚岡神社 四座 名神大」と記載されている。
平安時代末期以降は、河内国一之宮として崇敬を受けたとされるが、史料に明確な記載がない。鎌倉時代の1275年に西大寺の叡尊が衆僧100余人を率いて参詣し、蒙古襲来に対する大般若経の講讃転読を行った記録がある。戦国時代の1574年には当社神官の水走有忠(みずはいありただ)が織田信長と合戦し社殿を焼失、1605年に豊臣秀頼が復興のために社領などを寄進している。江戸時代には徳川幕府からの崇敬はほぼなったようで、村から社領5石の寄進を受けたのみ、1826年には氏子が現本殿を造営している。明治時代には近代社格制度において官幣大社に列し、昭和戦後、神社本庁の別表神派に加列している。
当社は、近鉄奈良線・枚岡駅の東口駅前すぐの場所にあって、駅のホームから一の鳥居が見える。境内地は生駒山脈の西麓に位置し、社殿は西面して鎮座している。もともと山岳信仰が発祥ということもあり、本殿は山の中腹にあるが、背後の山上に<神津嶽本宮>がある。他の一宮と比較すると、境内は広くはないが、4つの本殿が横に並ぶ独特な形式をもっている。
今回は、河内国一之宮であるため参拝することに。参拝時は週末の朝一、神職の方々はまだ準備中だったが、おそらく地元の人々中心に、参拝者はぱらぱらと見受けられた。
社伝によると、創建は神武天皇即位前3年(紀元前663年)、神武東征に際して天種子命が勅命により天児屋根命・比売神の2神を東方山神の神津嶽(かみつだけ)に奉斎したことに始まる。その後、飛鳥時代の白雉元年(650年)に当地の古代氏族である平岡連(平岡氏)が神津嶽から現在地に奉還した。(なお、史料における当社の社名は、古代より「枚岡」と「平岡」の字が併用されている。)
平安時代の859年には、神階が最高位の正一位に昇叙したと国史に記載されている。また、927年の『延喜式神名帳』には「河内国 河内郡 枚岡神社 四座 名神大」と記載されている。
平安時代末期以降は、河内国一之宮として崇敬を受けたとされるが、史料に明確な記載がない。鎌倉時代の1275年に西大寺の叡尊が衆僧100余人を率いて参詣し、蒙古襲来に対する大般若経の講讃転読を行った記録がある。戦国時代の1574年には当社神官の水走有忠(みずはいありただ)が織田信長と合戦し社殿を焼失、1605年に豊臣秀頼が復興のために社領などを寄進している。江戸時代には徳川幕府からの崇敬はほぼなったようで、村から社領5石の寄進を受けたのみ、1826年には氏子が現本殿を造営している。明治時代には近代社格制度において官幣大社に列し、昭和戦後、神社本庁の別表神派に加列している。
当社は、近鉄奈良線・枚岡駅の東口駅前すぐの場所にあって、駅のホームから一の鳥居が見える。境内地は生駒山脈の西麓に位置し、社殿は西面して鎮座している。もともと山岳信仰が発祥ということもあり、本殿は山の中腹にあるが、背後の山上に<神津嶽本宮>がある。他の一宮と比較すると、境内は広くはないが、4つの本殿が横に並ぶ独特な形式をもっている。
今回は、河内国一之宮であるため参拝することに。参拝時は週末の朝一、神職の方々はまだ準備中だったが、おそらく地元の人々中心に、参拝者はぱらぱらと見受けられた。
枚岡駅西口すぐに階段が始まる境内入口。<鳥居>と<社号標>。
鳥居の後ろには、なだらかに登る広い参道が続く。
参道を登り切ると広場があり、進行方向は左手にずれる。参拝時は例祭当日(夏の大祓)で茅の輪と祭壇があった。
社殿に向かう階段入口の左手(上写真左手)にある<手水>。
当社では神の使いは<鹿>。手水も<鹿>の口から竹筒を通して水が出る。
社殿への階段手前の石柱上部が、<剣>の形になっている。
階段手前で<神橋>を渡る。
神橋手前の狛犬が<狛鹿>になっている。左側の<狛鹿>は角がないのでメス?子連れ?<なで鹿>の表札がある。
右側の<狛鹿>は、角があるのでオスっぽい。
階段途中から<拝殿>全景。
開放度が高い<拝殿>正面。華やかな雰囲気。
左に少しずれると、拝殿奥に見える<本殿>の門。
社殿を斜めから。庇が長く伸びている。
<拝殿>左側から、<本殿>入口を望む。
拝殿の左手突き当りにある<龍鳴殿(受付所)>。御朱印はこちら。
拝殿の右手にある<授与所>。
拝殿の右側から<本殿>入口を望む。
<本殿入口>アップ。この後ろに<4つの本殿>が横一列に並ぶ。
透塀越しに見える<4つの本殿>。この位置からだとちょっと見えにくい。
赤い透塀のすぐ右隣にある、摂社<若宮社>と末社<天神地祇社>の仮殿。工事中につき。
天神地祇社の右隣で、ちょっと奥まったところにある、末社<一言主(ひとことぬし)神社>。
一言主神社の社殿前からの<4つの本殿>。ここがベスポジ。(^▽^)/
一言主神社の入口下にある<お百度石>。「念ずれば花開く」の文字。(^_^;)
一言主神社の右手にある、摂社<若宮社>の敷地。工事中につき、本殿横の仮殿にて参拝。
若宮社敷地の右手に、石垣上、石塀の奥遠くに鎮座する<飛来天神社>。
飛来天神社の右手に、ひっそりとある<遥拝所>。神津嶽本宮、皇居、伊勢神宮、橿原神宮など、榊を通して全国の神社を遙拝する場所。
つづいて右手参道脇にある<>。工事中とのこと。
やがて階段が現れ、その上に建つ<天神地祇社>。近隣の13社、かついて境内にあった19社を合祀している。工事中につき、本殿横の仮殿にて参拝。
さらに進むと<楠正行公 緑の井戸>。
この先、南の出入口の<鳥居>。
鳥居を出たところからの、大阪方面の景色。中央の住宅の煙突の向こうに<あべのハルカス>が見える。
来た順路を戻って行く。拝殿前の階段を下りると、階段の右脇にある<禊場・お滝場>。
塀の中に入ると、木製の鍵がかかるので裸になって本物の禊ができる。強い滝と弱い滝の2種類。タオルがあればやってみたかった...
初めて河内国に来たため、河内国神社用の御朱印帳を購入。<4つの本社>が描かれている。
すてき
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惣一郎1269投稿
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