いしきりつるぎやじんじゃかみのしゃ
石切劔箭神社上之社のお参りの記録一覧
石切さんの参道を途中で寄り道しながら登り上之社にお詣りさせて頂きました。
この時の上之社は参拝者が他に見当たらず、下之社とはまた違った緊張感のある清冽な空気で充ちていました。
メチャメチャ暑い日だったので、クーラーの効いた部屋で休憩を勧めて頂きました。
その節はお世話になり有り難うございました(´▽`)
石切劔箭神社上之社いしきりつるぎやじんじゃかみのしゃにご参拝させていただきました🥹👏🌿
この神社のご祭神である饒速日命にぎはやひのみことさまのご神霊は物部氏の滅亡とともに各地遷座され、この石切劔箭神社上之社に最終その荒御魂が遷座されました神社です☺️⛩️🌿今回も何となく行きたくなってこちらに辿り着きました☺️🌿急坂の山手にあり そのせいか とても静かで木々の空気の澄んだいい神社です⛩️🥹👏🌿
妻と娘三人でご参拝させていただきました🙇🏻♂️🤣👏畏かしこみ畏かしこみ身滌大祓を奏上し、ご参拝できましたことを深く感謝申し上げました🥹👏🌿神さまに届きましたでしょうか🤣👏🌿
社務所とつながる回廊をくぐると、ご拝殿の真うしろの山の手にとても古いご本殿が鎮座されてます⛩️🥹👏🌿🙇🏻♂️ それはそれは 天狗さま👺の存在を唱える人のいるのがわかるような気がするところです。ここはとてつもなく木々の空気が澄みきっていて すごい場所です🥹👏🌿眩まぶしいくらいの荘厳さを感じました🥹👏🐲🌿
山道を進むといちばん奥に登美霊社があり、饒速日命にぎはやひのみことさまのお妃さき(長髄彦ながすねひこさまの妹、石切劔箭神社のご祭神 宇摩志麻遅命うましまぢのみことさまの母)御炊屋媛 みかしきやひめさまのご社殿がありました。老朽化していましたが 丸まぁるい造りのご社殿は重厚で独特であり、母性 やさしさ おくゆかしさを感じました🥹🙏🐢登美一族の当時の繁栄を偲しのばせ りっぱです☺️👏🌿 (ご神体は婦道神社に遷座されたということです🧐👏🌿)
となりに婦道神社があり、弟橘姫命おとたちばなひめのみことさまが祀られておられました。弟橘姫命おとたちばなひめのみことさまは穂積氏(妻の祖)の忍山宿彌おしやまのすくねさまの娘とされ、物部氏と同祖であると言われています🧐👏🌿 日本武尊やまとたけるのみことさまの東征に従い、海神の怒りを鎮めるために日本武尊やまとたけるのみことさまの身代わりになられて海に自らの身を投じたと伝えられる有名な伝説に登場する日本武尊やまとたけるのみことさまのお妃きさきさまです🥹🌿手を合わせると凛りんとした空気の中 ほんわかとした気持ちになれました☺️🙏👏🌿
少し道を下るところに八代龍王社があり八代龍王神さまをお祀りしてありました。八代龍王神さま🐲🐉は、当神社創建以前から役行者さまや空海さまがこの地でお祀りされていたようです☺️🙏🌿なんか、すべてつながっているんですね😳🐲🌿厳しそうな八代龍王神さまのご神前でご真言を唱上させていただきました🥹🙏🐲
静かでとても厳おごそかな いい空気をいただくことができ これからのより処どころ⛩️がまたひとつ増えました😊👏🌿精進し またつぎもご参拝させていただくことができますように🥹🙇🏻♂️👏🌿
百度石 お百度参りの石柱👏🌿
駐車場の目の前 二の鳥居⛩️
狛犬 眷属のすごい迫力🥹🌿
隙すきがなく凛々りりしいですね☺️🌿
ご拝殿🥹👏🌿
?w🤔お百度参りのお百度紐ひもを置く石積かなぁ?🤔
ご本殿 すごい空気の場所です🥹🌿
眩しいくらいの荘厳さを感じました☺️👏🙇🏻♂️🌿
古い石垣の上 石切劔箭神社上之社址の石碑のあるところ すごいですね🥹👏🌿
👺天狗さまいるかもw😳🙇🏻♂️👏🌿
登美霊社
まぁるい 奥ゆかしい社殿🙏☺️🌿
屋根のV型の千木のはしが地面と水平に切れているのが女性の神様であるのを教わりました🧐⛩️👏
婦道神社⛩️👏🌿
入れませんでした💦
八代龍王社🐲🐉🙏🌿
ご真言あげさせてもらいました🙏🥹🐲🌿
子牛が寄り添ってます☺️🐂🌿親子の牛の銅像は、昭和天皇が丑年生まれであることを記念して作られたそうです☺️🐂🌿
「石切劔箭神社上之社一の鳥居」石切劔箭神社上之社の看板のあるしめ縄を張った石柱(標柱しめばしら)をくぐって右折して入るとすぐ右手に駐車場です🤣🚗💨⛩️
一の鳥居(標柱しめばしら)⛩️🌿🥹
ご神紋⛩️👏🌿 下がり藤の紋なので 後世 藤原系がご神代となったんでしょうね きっと☺️🌿穂積(→木積)の家紋は 丸い稲いねの紋(稲束紋) なので☺️🌿
神様に100日お参りすると願い事が叶う!
しかし、緊急を要する場合100日間も時がないかもしれませんね。
ということで、1日に100回お参りする様になっていったのが「お百度参り」みたいですね。
石切さんの「お百度参り」はとても有名ですが、今回はその石切神社の中でも上之社のお参りを載せておきます。
今回は石切参道を登って行きました。
途中にはこんな建物や
石切大仏さんもあります。
さらに上に進むと「婦道神社」や
登美霊社も
石切剱箭神社(いしきりつるぎや~)・上之社は、大阪府東大阪市上石切町にある神道石切教の神社。式内社で、旧社格は村社。祭神は饒速日尊(にぎはやひのみこと)と可美真手命(うましまでのみこと)の2柱。古来「石切さん」、「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれ、本殿前と神社入口にある百度石の間を行き来する「お百度参り」で有名。
当社の創建は不詳。室町時代に社殿焼失後、社家の口伝をまとめたところだと、神武天皇2年(紀元前659年)、現生駒山中の宮山に饒速日尊を祀ったのが始まりで、崇神天皇の時代に下之社(現本社)に可美真手命を祀ったとしている。『日本三代実録』には平安時代865年に神階昇叙の記載がある。また927年の『延喜式神名帳』には「河内国 河内郡 石切剱箭命神社
二座」と記載されている。室町時代末期に兵火にかかり社殿を焼失、その後復興したが、宮山にあった祭祀の場はいつしか現上之社(奥の院)の場所に遷された。
当社(上之社)は、近鉄奈良線・石切駅の南東400mほどの山の中にある。山の下手の鳥居をくぐるとゆるやかな石段があって、手水舎のあるところからさらに直線の石段を登るとさほど広くはない境内がある。石段上には百度石があって、こちらでも本社同様<お百度参り>ができる。
式内社で人気神社の<石切剱箭神社>を事前に調べていたら上之社があるというので参拝することに。参拝時は平日の午前中、境内では真剣に<お百度参り>をしている人が数人いて、すごい勢いで拝殿前と百度石の間をぐるぐる廻っているので、あまりゆっくり参拝できなかった。
境内入口にある<鳥居>と<社号標>。
鳥居の階段を登ったところにある<手水舎>。この場所で2つの参詣道が1本になる。
手水舎の近くにある<親子連牛像>。
手水舎の場所から社殿に向かう階段。両側の白い奉納幟が気分を盛り上げる。
階段を登り切ったところからの<拝殿>。
<拝殿>全景。
拝殿の後ろにある<本殿>。拝殿のサイズに比べるとかなり小さい。写真左側の石柱には<石切剱箭神社上之社址>の文字。
拝殿に向かって左手にある建物。拝殿とは空中渡り廊下で繋がっている。社務所かな?
拝殿に向かって右手にある建物。拝殿とは空中渡り廊下で繋がっている。授与所かな?
最後に境内全景。拝殿前の四角い石積、井戸のような丸い石積は、どんな意味があるのかな?
参拝を終え、石段、坂道を下ってきたところ。遠くの大阪中心部が見渡せる。
大阪府のおすすめ2選🎌
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