おきのぐう
沖宮のお参りの記録一覧
参拝記念⛩✨
沖宮
沖縄県那覇市に鎮座する沖宮へ参拝に上がらせて頂きました。
今回は妹夫婦と帯同のため(^_^;)
初日からレンタカーを借りて波上宮を皆で参拝した後は国際通りに彼女たちを放り投げ一人気ままに琉球八社巡り向かいました。
今回の旅行で八社全て行けないような気がしますが…
その時は次回に持ち越しです(´;ω;`)ウッ
沖宮は少し小高い丘の上に鎮座しているため那覇の街を見下ろすような景色が広がっていました。
後で境内図を見たら境内社を全て回れていなかったみたいで…
またのんびり沖縄に来たいと思います。
御朱印の書入れは今は行っていないとのことで全て書置きのみの拝受になります。
御朱印
通常版 書置き
御朱印
甲辰限定 書置き
鳥居
狛犬
手水舎
由緒
拝殿
拝殿前の狛犬
【琉球八社巡り(2/8)】
沖宮(おきのぐう)は、沖縄県那覇市奥武山町にある神社。旧社格は無社格で、現在は神社本庁に属さない単立神社。主祭神は、天受久女龍宮王御神(てんじゅくめりゅうぐうおうおんかみ:天照大御神)、天龍大御神(てんりゅうおおおんかみ)、天久臣乙女王御神(あめくしんおとめおうおんかみ)、熊野三神(伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊)。明治の神仏分離までは「沖山三所権現(沖の寺)」と称し、神仏習合で阿弥陀如来、薬師如来、十一面観音を祀っていた。琉球八社の1社。
創建は不詳だが、琉球王国の正史である『中山世鑑』等の史料によると、源為朝の時代に始まる。1713年の『琉球国由来記』では、「大昔、那覇港の海中から光が絶えず射していたので、調べてみると霊木であり、これを熊野権現の霊木とし、社寺を建てこの木を祀った」とある。最初は那覇埠頭の地にあったが、明治時代に那覇港埠頭築港に伴い安里八幡宮の隣地に遷座、社殿は琉球の神社建築の典型例として国宝に指定されるも、1945年の米軍との沖縄戦で焼失した。戦後1961年に通堂町へ復興仮遷座し、1975年に現在地である奥武山公園内に遷座した。
当宮は、ゆいレール(沖縄都市モノレール)・奥武山公園駅の北東300mの奥武山公園内にある。広大な公園の南東部にある小丘(奥武山)の斜面が境内となっており、低い位置にメインの社殿があり、その周りに狭い通路が張り巡らされ、境内社や御嶽(うたき)、石碑や仏像がちりばめられている。ちょっとしたアミューズメントパークのようになっていて、参拝して廻っていてなかなか楽しい。
今回は、琉球八社の1社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、観光客も含め、多くの参拝者が訪れていた。
境内南端入口全景。印象的なクリーム色の<鳥居>。
鳥居前左側にたくさんの石碑が建っているが、すべて空手道関係のもの。社号標はない。
それでは鳥居をくぐって階段を登っていく。両脇の狛犬は本土と違いのないタイプのもの。
階段の途中、右側に設けられた手水所。<手水盤>が3つある。
階段を登り切ったところ。沖縄は雨が多いからか、拝殿前にはテントが常設してある。(社殿全景が見えない...(^_^;))
左側を向くと社務所前が<授与所>ゾーンになっている。
拝殿前左側にある<狛犬>。赤土のシーサータイプ~♪
拝殿前右側にある<狛犬>。沖縄の神社らしくて良い!(o^―^o)
<拝殿>正面。南国の花の飾りつけが粋。
拝殿の右側から後方の<本殿>を望む。意外にもオーソドックスな木造銅板葺の神明造。
本殿の右隣にある<住吉神社>。神世十二子の子、丑、寅の神を祀る。
<住吉神社>には靴を脱いで建物に上がって参拝する形になっている。
順路表示に従って、拝殿の左側に廻ると<祈祷殿>。導きの神・猿田彦命を祀る。
本殿の左側にある<八坂神社>。神世十二子の卯、巳、午、未、申、酉、戌、亥の神を祀る。
<八坂神社>にも、靴を脱いで上がって参拝する。
裏手の御嶽への参道入口に立つ<鳥居>。こちらは朱色。
階段の途中、右手に<本殿>の屋根が見える。
階段を登り切ったところにある<鳥居>。
こちらが頂上にある<天燈山御嶽>。天受久女龍宮王御神(てんじゅくめりゅうぐうおうおんかみ:天照大御神)が鎮まる神地。
御嶽の左側にある<筆の碑>。「筆司の功績を称えまつる」とある。
御嶽から南東方向の眺め。(o^―^o)
御嶽から下って、鳥居をくぐる。
鳥居をくぐってすぐに、左方向への道があり、赤い小さな鳥居がある。
赤い小さな鳥居をくぐって進むと<庖丁司>の碑がある。
庖丁司の碑の先にある<天照皇大神、春日大神、八幡大神>の石碑。
参道を下って<授与所>に到着。こちらで御朱印を拝受。
境内東側のエリアは、一度クリーム色の鳥居を出て道に戻り、別の入口から出直す。入口の赤い小さな鳥居。扁額には<弁財天宮>とある。色鮮やかな花々がきれい。
階段を登り切ったところにある<弁財天宮>。神世十二子の辰の神を祀る。
写真は一番右端の社殿。社殿が3つあるが、どれが弁財天宮かは分からなかった...(^_^;)
左端の社殿(左)と中央の社殿(右)。中央の社殿の右側には滝が流れている。
3つの社殿の前は池になっていて、きれいな錦鯉がたくさん泳いでいる。
こちらは弁財天堂の左隣にある<権現堂>。七福神、御世十二支を祀る。
沖宮参拝は以上で終了~♪ (o^―^o)
車で沖宮に行く場合には、奥武山公園北側の<沖縄県護国神社・一の鳥居>から入っていく。(^▽^)/
沖宮の創建は、尚金福王の時代である1451年という記録があります。
1713年琉球王府発刊の「琉球王国由来記」によると15世紀中頃に那覇港内で不思議に輝くものを国王が首里城よりご覧になり、漁夫に命じて探らせると、尋常ならざる古木を得たそうです。
翌夜より水面が輝くことがなかったので、この地に宮社を建て古木をお祀りし、以後、国王始め一般の尊崇をあつめ、
特に中国往来の進貢船や薩摩往来の貢船、離島航路などの航海安全の祈願に尊信されたということです。
琉球舞踊の話になりますが、旅の無事を祈る琉球舞踊「上り口説(ヌブイクドウチ)」の歌詞の一節「沖ヌ側マディ親子兄弟連リティ別ユル…」とある「沖」は、実は沖宮のことです。
琉球の王様をはじめ、江戸方面へ上る多くの人々が、よき旅となるよう沖宮へご参詣された情景に思いを馳せると、歴史とロマンを感じていただけるのではないでしょうか。
沖宮は、創建当時、現在の那覇港にありました。明治41年(1908年)、築港工事の為、琉球八社の一つ安里八幡宮の境内地隣域に遷座されました。
その古式ゆかしい本殿は、昭和13年(1938年)伊東忠太(いとうちゅうた)博士の推挙により国宝に指定されますが、第二次世界大戦により残念ながら焼失してしまいました。
戦後、昭和36年(1961年)に通堂町へ仮遷座し、昭和50年(1975年)に奥武山公園内へ遷座し現在に至ります。
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