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しきなぐう

識名宮のお参りの記録一覧
沖縄県 安里駅

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BLZ
BLZ
2026年06月06日(土)147投稿

琉球八社巡りの最後に、識名宮へ参拝しました。

識名宮は琉球八社の一社で、社号は『琉球神道記』には「尸棄那権現」、『琉球国由来記』には「姑射山権現」と記されているそうです。尚元王の長子が病を患った際、熊野権現に祈願したところ快癒したため、その御神徳に感謝して創建されたと伝わる由緒あるお宮です。

金武宮への参拝を終えた後、貸し切りタクシーで識名宮へ向かいました。

事前の情報で、神職の方がご不在の場合もあると聞いていたため、少し心配していました。神社の門の開け閉めの時間にはいらっしゃるとの情報もあったので、もし伺った時間にご不在だった場合も考えて、別の行程案も組んでいました。

ただ、事前にお電話で確認したところ、幸いにも金武宮から戻って立ち寄るタイミングにはいらっしゃるとのこと。安心してお参りに向かうことができました。

宮司さんに伺ったところ、以前は普天満宮と兼務されていたため不在のことも多かったそうですが、現在は識名宮を主に見ていらっしゃるため、朝と夕方だけしかいない、というわけではないとのことでした。それでも、やはりご不在の場合もあるそうで、「ご縁があってよかったですね」とおっしゃっていただきました。

また、毎月1日と15日には洞窟の扉が開かれ、見学もできるようです。当初は翌日の6月1日も沖縄にいる予定でしたが、あいにく家族の仕事が入ってしまったため、今回は断念。洞窟の見学は次回の楽しみとなりました。もっとも、結果的には翌日に台風が近づいたので、今回はこれでよかったのかもしれません。

御朱印も無事にいただくことができました。

これで、今回の沖縄訪問で目標にしていた琉球八社巡りを結願することができました。最後に識名宮でお参りできたこと、そして宮司さんからもお話を伺えたことは、とてもありがたいご縁でした。

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惣一郎
惣一郎
2022年05月03日(火)1269投稿

【琉球八社巡り(3/8)】

識名宮(しきなぐう)は、沖縄県那覇市繁多川にある神社。旧社格は無社格。主祭神は伊弉冉尊、速玉男命、事解男命、午ぬふぁ神、識名権現。琉球八社の1社。

創建は不詳。『遺老説伝』によると、尚元王(1556年~1572年)の長男の病気回復に霊験があったため当社と別当寺・神応寺を創建したとある。社伝によると、尚賢王(1644年)から毎年3回国王の行幸があった。1671年に神応寺は臨済宗から真言宗に改宗。社殿はもともと洞窟内にあったが、1680年に洞外に移築。琉球八社の1社となった後は、王府から神職の役俸と営繕費が支給された。近世においては、熊野三山、権現信仰として、当宮を熊野本宮、末吉宮を熊野新宮、普天満宮を熊野那智に見立てて信仰された。1945年の米軍との沖縄戦で社殿を焼失したが、1968年に再建された。

当宮は、ゆいレール(沖縄都市モノレール)・安里駅の東南東2kmの市街地の緩い斜面にある。境内南端入口は、バスが通る車の多い道に面している。道に面した間口はさほど広くはないが、奥の境内自体も広くはない。樹木のトンネルになっている参道を進むと社殿周りのエリアにすぐ到着する。沖縄らしい建物の社殿前には変わった形の2匹のシーサーが構えている。社殿裏手にはシキナグゥヌガマ(識名宮洞窟)がある。

今回は、琉球八社の1社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、土砂降りの雨だったこともあり、自分以外には参拝者はいなかった。

識名宮の鳥居

境内南端入口全景。住宅街の中の交通量の多い道に面している。

識名宮の鳥居

入口の<一の鳥居>。社号標はないようだが、鳥居に社号が彫り込まれている。

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のぶさん
のぶさん
2022年03月28日(月)1689投稿

宮司様が兼務の為決まった時間に行かないと御朱印はいただく事できないと事前情報があったので先に連絡して居る時間確認してから行ったほうが確実です
御由緒によると
当宮は琉球八社と呼ばれた由緒ある社の一つです。社号は琉球神道記(一六〇八年)には「尸棄那権現」、琉球国由来記(一七一三年)には「姑射山権現」と記されています。尚、前者には「縁起亦明ナラズ。熊野神ト見ヘタリ。石窟惟霊地也」と祭神のことが記されています。
さらに近世沖縄における熊野三山、いわゆる権現信仰としては末吉宮は熊野新宮に、普天満宮は熊野那智(飛龍)に、識名宮は熊野本宮に見立てて信仰されていました。

 当宮は特に琉球王の篤い信仰を承け、尚元王(一五五六~七二年)の長子尚康伯の病気回復に霊験を得て、識名宮と神応寺を建て、大あむしられに看守させたといわれています。
尚賢王(一六四四年)から毎年一・五・九月の吉日に国王の行幸が始まりました。一六七一年隣接の神応寺は臨済宗より真言宗に改宗(住持覚遍和尚)。
戦前の識名宮神社の社殿はもと洞内にありましたが湿気がひどく腐朽し、康煕十九年(一六八0年)に洞外に移築して、瓦葺としました。  ときの惣奉行守浄(阿姓四世)によって、三月十一日~四月二〇日にかけて拝殿・石垣などの修補がなされ完成しました。(阿姓大宗家/那覇市史資料集1-7).王府時代は神職の役俸と営繕費は王府から支給されていました。

 戦前の建物は、三間社流造り、本瓦葺き、桁行三・七m、梁間二・四mの建築で、沖宮本殿に類似していましたが、残念ながら、戦災で焼失しました。戦後、識名宮奉賛会が発足して昭和四三年十二月に社殿が復興し、昭和四十七年五月十五日神社本庁包括、宗教法人識名宮となりました。

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