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しきなぐう

識名宮のお参りの記録一覧
沖縄県 安里駅

ユッキー
ユッキー
2024年11月04日(月)
387投稿

参拝記念⛩️✨

識名宮

沖縄県那覇市に鎮座する識名宮へ参拝に上がらせて頂きました🙏
こじんまりとしていますが鍾乳洞みたいな奥宮があり沖縄ならでは!という社殿です。

識名宮(沖縄県)

御朱印

識名宮(沖縄県)

鳥居

識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)

参道

識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)

手水舎

識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)

絵馬

識名宮(沖縄県)

二の鳥居

識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)

狛犬

識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)

拝殿

識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)

拝殿内

識名宮(沖縄県)

拝殿からの振り返り

識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)

本殿

識名宮(沖縄県)

本殿の後ろ側
鍾乳洞?

識名宮(沖縄県)

ディナーは那覇市の招待日和で
A Long Vacationさまにて

識名宮(沖縄県)

モヒート

識名宮(沖縄県)

トリュフが香ばし😋✨

識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)
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惣一郎
惣一郎
2022年05月03日(火)
1269投稿

【琉球八社巡り(3/8)】

識名宮(しきなぐう)は、沖縄県那覇市繁多川にある神社。旧社格は無社格。主祭神は伊弉冉尊、速玉男命、事解男命、午ぬふぁ神、識名権現。琉球八社の1社。

創建は不詳。『遺老説伝』によると、尚元王(1556年~1572年)の長男の病気回復に霊験があったため当社と別当寺・神応寺を創建したとある。社伝によると、尚賢王(1644年)から毎年3回国王の行幸があった。1671年に神応寺は臨済宗から真言宗に改宗。社殿はもともと洞窟内にあったが、1680年に洞外に移築。琉球八社の1社となった後は、王府から神職の役俸と営繕費が支給された。近世においては、熊野三山、権現信仰として、当宮を熊野本宮、末吉宮を熊野新宮、普天満宮を熊野那智に見立てて信仰された。1945年の米軍との沖縄戦で社殿を焼失したが、1968年に再建された。

当宮は、ゆいレール(沖縄都市モノレール)・安里駅の東南東2kmの市街地の緩い斜面にある。境内南端入口は、バスが通る車の多い道に面している。道に面した間口はさほど広くはないが、奥の境内自体も広くはない。樹木のトンネルになっている参道を進むと社殿周りのエリアにすぐ到着する。沖縄らしい建物の社殿前には変わった形の2匹のシーサーが構えている。社殿裏手にはシキナグゥヌガマ(識名宮洞窟)がある。

今回は、琉球八社の1社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、土砂降りの雨だったこともあり、自分以外には参拝者はいなかった。

識名宮の鳥居

境内南端入口全景。住宅街の中の交通量の多い道に面している。

識名宮の鳥居

入口の<一の鳥居>。社号標はないようだが、鳥居に社号が彫り込まれている。

識名宮の建物その他

参道は細いが、亜熱帯系樹木に覆われていて包まれ感がある。

識名宮の手水

参道進んで右側にある<手水舎>。

識名宮の建物その他

参道左側にある<社務所>。御朱印はこちら。

識名宮(沖縄県)

神域は石垣で囲まれていて、入口に<二の鳥居>がある。

識名宮の本殿

鳥居をくぐると、正面に<拝殿>全景。赤瓦に白い漆喰の、沖縄らしい造り。

識名宮(沖縄県)

拝殿前左側の<狛犬>。風貌も独特だが、球(?)に前足を乗せた姿勢も独特。

識名宮の狛犬

拝殿前右側の<狛犬>。

識名宮(沖縄県)

<拝殿>正面。コンクリ造りっぽい頑丈な造り。

識名宮(沖縄県)

<拝殿>内部。きれいな内装。

識名宮(沖縄県)

拝殿後ろの<本殿>。屋根は沖縄仕様だが、躯体は本土同様の木製。

識名宮(沖縄県)

本殿の裏手にある識名宮洞窟(シキナグゥヌガマ)。もともとはこの洞窟の中で祭祀を行ったということかな。

識名宮の本殿

石碑の近くから<社殿>全景。

識名宮の狛犬

印象に残ったのは、やはりユニークな<狛犬>かな。(^▽^)/

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のぶさん
のぶさん
2022年03月28日(月)
1576投稿

宮司様が兼務の為決まった時間に行かないと御朱印はいただく事できないと事前情報があったので先に連絡して居る時間確認してから行ったほうが確実です
御由緒によると
当宮は琉球八社と呼ばれた由緒ある社の一つです。社号は琉球神道記(一六〇八年)には「尸棄那権現」、琉球国由来記(一七一三年)には「姑射山権現」と記されています。尚、前者には「縁起亦明ナラズ。熊野神ト見ヘタリ。石窟惟霊地也」と祭神のことが記されています。
さらに近世沖縄における熊野三山、いわゆる権現信仰としては末吉宮は熊野新宮に、普天満宮は熊野那智(飛龍)に、識名宮は熊野本宮に見立てて信仰されていました。

 当宮は特に琉球王の篤い信仰を承け、尚元王(一五五六~七二年)の長子尚康伯の病気回復に霊験を得て、識名宮と神応寺を建て、大あむしられに看守させたといわれています。
尚賢王(一六四四年)から毎年一・五・九月の吉日に国王の行幸が始まりました。一六七一年隣接の神応寺は臨済宗より真言宗に改宗(住持覚遍和尚)。
戦前の識名宮神社の社殿はもと洞内にありましたが湿気がひどく腐朽し、康煕十九年(一六八0年)に洞外に移築して、瓦葺としました。  ときの惣奉行守浄(阿姓四世)によって、三月十一日~四月二〇日にかけて拝殿・石垣などの修補がなされ完成しました。(阿姓大宗家/那覇市史資料集1-7).王府時代は神職の役俸と営繕費は王府から支給されていました。

 戦前の建物は、三間社流造り、本瓦葺き、桁行三・七m、梁間二・四mの建築で、沖宮本殿に類似していましたが、残念ながら、戦災で焼失しました。戦後、識名宮奉賛会が発足して昭和四三年十二月に社殿が復興し、昭和四十七年五月十五日神社本庁包括、宗教法人識名宮となりました。

識名宮の鳥居
識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)
識名宮(沖縄県)
識名宮の本殿
識名宮の狛犬
識名宮の狛犬
識名宮の本殿
識名宮(沖縄県)
識名宮の本殿
識名宮の鳥居
識名宮の手水
識名宮の手水
識名宮の建物その他
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アルネ
アルネ
2019年10月06日(日)
322投稿

琉球八社巡り6社目、識名宮。
波上宮を後にして向かったこちらへは、車で約20分。なんとその移動中、先ほどまでの快晴とは打って変わって、ものすごいスコールのような雨が降りました。幸い車中でしたので、一瞬たりとも濡れることなく済みました。しかも、識名宮に到着した時には雨は止んでいるという、出来すぎの展開です。神さまのご加護を感じました。ありがたかったです。

他の参拝客もなく、私たちで独占状態でお参りできました。駐車場からだと、参道の途中に横入りするような構造になっています。

二礼二拍手に、簡易の祝詞を唱えてご挨拶。旅の無事を祈願して一礼。
この日はこの後、玉陵、首里城、金城町の石畳〜首里金城の大アカギ〜金城村屋と巡りました。
夫が首里城で暑さにやられて一時はどうなることかと思いましたが、なんとか私が行きたかったところをほぼ全て巡り切ることができました。

大アカギでは不思議な現地の人との不思議な出会いもあったりしましたし、夜は沖縄料理とオリオンビールをお得に楽しめる食堂を見つけたりもして、とっても楽しかったです。

識名宮の鳥居

表通りに面する一の鳥居です。雨あがりなので、辺りが濡れています。

識名宮の鳥居

この左横に駐車場に続く抜け道とお手洗いがあります。お手洗いもありがたく借りました。

識名宮の建物その他

すっきりとした拝殿内の様子です。格天井が美しいです。

識名宮の狛犬

狛犬??がとても独特でした。シーサーだからでしょうか。なんとなく竜っぽいような…。

識名宮の狛犬

阿形のシーサーさんです。

識名宮の狛犬

吽形のシーサーさんです。

識名宮の狛犬

この、首を載せているものは何だったのでしょうか。

識名宮の建物その他

境内には二羽の鳩が、長閑かに休んでいました。最初は片われはフェンスの上にいたのですが…。私たちがそばに行ってもどこ吹く風というか、臆する様子もなく…。

識名宮の動物

むしろフェンスの上から下りてきてくれて、二羽揃って腰を下ろしたり。ゆったりと揃って芝生に腰を下ろしている様は可愛らしくて、嬉しかったです。

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