たまいぐうとうしょうぐう
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楽しみ方玉井宮東照宮のお参りの記録一覧

境内の駐車場は行きも帰りも一方通行だか、非常に狭く急な坂です。

境内社鳥居


眷属の狐


境内社 稲荷神社

三勲神社由緒書

狛犬


境内社 三勲神社 御祭神:和気清麿・児島高徳・楠正行


境内社鳥居

境内社 少宮社

境内社 天満宮

明治十三年(1880)奉納の燈籠


由緒書

石段上から 下に一の鳥居が見えます


安永四年(1775)建立の鳥居の一部

明治三十丁酉(1897)奉納の二の鳥居


参道

宝暦十三癸未年(1763)奉納の燈籠

手水舎

手水鉢

手水鉢

隋身門

隋身門案内板

随身様


筆塚


境内社 天満宮

境内社 板中荒神社

板中荒神社案内板

石段

宝暦九己卯年(1759)奉納の燈籠

注連柱

明和四丁亥年(1767)奉納の燈籠

手水鉢

さざれ石

元禄十三庚辰年(1700)奉納の燈籠


拝殿

御祭神:豊玉比賣命・彦火々出見命・玉依比賣命・徳川家康公


拝殿側面


本殿





鵜戸神宮遥拝所

宇佐八幡宮遥拝所

境内社 白龍神



出雲大社遥拝所

熱田神宮遥拝所

伊勢神宮遥拝所


境内社 金龍神

お参りしました🙏
お宮に着いた時には薄曇りだったのに龍神さまにご挨拶する時はまさかのどしゃ降り☔️で雨宿りもできずびしょ濡れ😵💫
龍神さまには大歓迎されたけど4周年記念 限定御刻印守は売り切れで手に入らず😑
最後はキレイな青空になったので、まっいっか🙏


着いた時は薄曇り

金龍神さま🌨️

白龍神さま🌧️

かなり降った😑寒い🥶

晴れたので2往復目









先日投稿させていただいた岡山縣護国神社から西へ約1km、車なら2~3分ほどのところに鎮座。
バイク神社としてライダーの方が多く訪れる神社なのだそうです。
禰宜の方がバイク好きだとかで、ツーリングの御守として「道楽御守」や、御刻印などもありました。
拝殿内には大きな蛇のモニュメントがあり、さらに奥のほうには卯と辰のモニュメントも。
来年は馬のモニュメントが登場するんでしょうね。
拝殿の右側から奥に進むと金龍社発見。
何か感じるものがあり、金龍社にお参りしているとどこからともなく風が吹いてきて、「よく来たな」というサインを送っていただいたような感じがしました。
とここで、さらに奥のほうからコンッ、コンッという木を叩くような音がしてきたので、目を凝らして見てみると啄木鳥がいるじゃないですか。
啄木鳥を見るのは初めてだったのでテンション上がって必死に写真を撮ったのですが、イマイチ・・・😅
気を取り直して本殿後方に進むと今度は白龍社があり、ここでもしっかりとお参り。
金龍社に白龍社とは、とてもありがたい気持ちになりました。
<御祭神>
豊玉比売命 彦火火出見命
玉依比売命 徳川家康公
<御由緒>~岡山県神社庁HPより~
本社は元児島郡小串村大字光明崎(今は米崎)に鎮座されていたが、応徳2年(1085)当東山に移転遷座して玉井宮と称せられるようになった。この遷座にあたり、次のような伝説がある。
その頃、社のあった山頂から、毎夜怪光が海面を照らし魚が恐れてよりつかず、漁師たちは困って其の事を神前に告げ、ご神託を受けた。ご神託は「御幣が舞い上がり飛んで行き上道郡門田の山中に立つ、そこへ遷座せよ」というものであった。その御幣が飛来し立った所がこの地(故にこの山を幣立山という)で、社名を玉井宮または玉の宮と称した。
その後、正保2年(1645)藩主池田光政公の命により、この地に岡山城並びに城郭の鎮守として東照宮を勧請するにあたり、玉井宮は、下の広場(今の駐車場)へ遷座され、国内別格5社の1社に列せられた。
東照宮は、日光から地方勧請がなされた初めての東照宮であり、後に建てられた地方の東照宮は、岡山の東照宮の勧請を習って創建された。また正保2年(1645)から明治3年頃(1872)までの227年間行われた東照宮御神幸は現在においても、岡山一の祭礼といわれている。
多くの崇敬を集めており玉井宮が米崎に鎮座していたころは、空海、円珍等の名立たる高僧の崇敬を集め、現在地に遷座してからは初代岡山城城主である宇喜多家を始め、代々の城主や武士、農民の崇敬と厚い庇護を受けた。
明治14年(1881)玉井宮と東照宮は合祀され、社名を玉井宮東照宮とし、県社に列格した。明治33年(1900)旧玉井宮の建物を移転し、西日本屈指の大拝殿の建立等大造営が行われた。その立派な社殿郡も平成元年(1989)1月31日未明不慮の火災により、幣拝殿・神饌所・社務所・参集所等焼失した。しかし、氏子崇敬者の尽力により、4年の歳月をかけ現在の姿に復興した。 ご利益として、嘉永3年(1850)高松中納言季実卿の執奏により、岡山で唯一、皇后ご安産のご祈願を行い、当時の祠官佐々木左兵衛介は上京参内しお守り札を献上している。その時高松中納言から「大君の御子のいのりの功績を雲井に高くきこえあげたり」という和歌が下され、ご祭神のいわれとともに安産の神様として崇敬を集めてきた。



随神門



随神門をくぐってすぐ右手:坂中荒神社

随神門をくぐってすぐ左手:天満宮

筆塚

拝殿前には注連柱

拝殿

拝殿内の蛇
奥には卯と辰がありますね


拝殿内天井には家紋
氏子の方々のものでしょうか


金龍社

啄木鳥
わかります?

出雲大社遥拝所
他にも伊勢神宮遥拝所、熱田神宮遥拝所、宇佐八幡宮遥拝所、鵜戸神宮遥拝所があるみたいです

本殿後方から

白龍社

少宮社

三勲神社

玉満稲荷社

岡山市中区にある神社です。小さな山の頂上にある神社です。
街道からぐぐっと曲がる道を上がっていくと 山上の駐車場に行けます。
とても細い道ですれ違いは不可能だ こわ~と思っていたら 一方通行になっていました。
駐車場から すぐに鳥居・隋神門へと進めます。
一の鳥居が麓にあったので 一度石段を下りて写真を撮って また上ってきました。
これけっこうきつい。
境内社がとても多かったです。駐車場付近に5社。隋神門から内側に4社。遥拝所も2つ。
拝殿はとても立派で 天井に氏子の家紋かな(?)が書かれていて これは地域で大切にされている神社なんだなぁと分かります。
本殿は木に囲まれていて写真ではしっかり見えないですが 屋根の修復工事が予定されているそうです。
長く守り続けるために 長期的な視野で改修工事をしていかなければならないんですね。
それにしても 古い建物を維持するのは大変です。
金持ちでもない私ができることは 少しお高い御朱印を拝受することだけです。
お参りをすませたあとに社務所に向かうと 何やらカーテンを閉めたり戸を閉めたり 「今から会議があるので」 と言いつつ御朱印を書いてくださいました。
本当にぎりぎりだったと思います。ありがとうございました。
この日は 本当にありがたいことばかりでした。
ますます岡山が好きになりました。
ネット情報です。
主祭神は豊玉比売命・彦火火出見命・玉依比売命・徳川家康公です。
玉井宮は 元来 児島半島東端の児島郡小串村大字光明崎(現・岡山市南区小串)に鎮座していた。
大宝3年(703年)に創建された。
応徳2年(1085年)当地に玉井宮として移転遷座した。
この時の祭神は豊玉比売命1柱のみであったと伝えられている。
現在の地に遷座してからの歴史しかはっきりしておらず 元地である光明﨑に鎮座していた時期のことがはっきりとわかっていない。
正保2年(1645年)岡山藩主池田光政は この地に岡山城ならびに城郭と岡山神社・今村宮・玉井宮の氏子区域(旧岡山72町内)すべての総鎮守として東照宮を勧進した。
岡山市の総鎮守である。
また 玉井宮は前の広場(現在の駐車場)に移転された。
玉井宮と東照宮は場所を同じくしていたが別々の神社であった。
明治時代になり 明治14年(1881年)玉井宮と東照宮が合祀された。
社名は玉井宮東照宮となり 県社に列格した。
明治33年(1900年)旧玉井宮の建物を移転し 西日本一の大拝殿の建立が行われ 境内が整備された。

麓にある一の鳥居



この石段を上がります

空襲で壊れた鳥居の一部(?)

鳥居について

隋神門正面鳥居

由緒書

一の鳥居から上がる石段

手水舎と立派な案内板

隋神門

隋神門の説明

本殿修復事業について

本殿前柱門

本殿

祭神について

内陣

境内社 金龍神

由緒書

金龍神 祠

本殿横から

こちらも本殿 木に囲まれています

境内社 白龍神

由緒書

白龍神 祠

宇佐八幡宮 遥拝所

鵜戸神宮 遥拝所

さざれ石

境内社 天満宮

境内社 坂中荒神社

境内社 少宮社

境内社 三勲神社

境内社 玉満稲荷社

境内社 倉稲魂社

境内社山川神社

岡山市の東側にある小高い丘に鎮座する東照宮です。この山には神託によって建てられた玉井宮があり、備前岡山藩主だった池田光政公によって建てられた東照宮が遷座し、現在の両者の名前を並列した社名に落ち着きました。東照宮の創建は光政公、ひいては備前岡山藩にとっては徳川幕府に対する誠意宣誓の目的があり、当時の政治体制を意図して建てられたとされています。

《一の鳥居》

《末社①》
三勲神社と玉満稲荷社です。こちらの峠にライダーがたくさんたむろってました。

《少宮社》
代々の宮司と神社の維持に貢献した方々を祀ります。招魂社や霊魂社と同じような立ち位置のようです。

《由緒書き》
玉井宮は備前別格五社の一つとされるほどに国内の神社でも崇敬が篤かったようです。
ちなみにこの備前別格五社は備前国一宮の吉備津彦神社、名神大社であり元一宮であった安仁神社、岡山城の守護神とされる酒折宮(現在の岡山神社)、そして当社の玉井宮、備前東照宮を指します。

《二の鳥居》

《手水舎》
水は流れています。洗ひつるここも…(略)

《随身門》

《天満宮》
道真公は大宰府に配流される道中に岡山にも逗留しています。

《坂中荒神社》

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
玉井宮は当社に遷座するまでの歴史が明らかになっていないそうですが、瀬戸内には当社を本宮とする分社が多く見られるそうです。また周辺の仏閣には玉井宮に関する由緒が残っており、社僧によって管理がされていたようです。このことから当時仏教寄りであった東照大権現がこちらに分社されたのもその影響であったことが窺え、実際にあの天海僧正に勧請を願い出て許可を得たという記述が遺されています。

《授与所》
御朱印いただきました。これだけ立派な神社ではありますが、全国東照宮連合会には属していないんですね。

《金龍神社》
昨年の辰年に多くの方が来られたでしょうね…

《梅の花》

《各遥拝所》
手前が出雲大社、奥が熱田神宮の遥拝所です。

《小祠群》

《白龍神社》
当社の御祭神とされる豊玉毘売命さまは龍神界を統べる存在とのこと。初めて知りました。しかし実際一般的に豊玉比売さまに対する信仰はかなり高いですよね。

とても素敵な神社です。
街と東山との境いの場所に、優美で広々と鎮座しています。
歴史ある神社で本殿は県の重要文化財に指定されています。まず風格のある一の鳥居をくぐると清々しい気が溢れ、ニの鳥居前は明るくてワクワクしてきます。随神門は岡山市の重要文化財で歴史を感じます。
境内にはたくさんの社があって、たくさんの神様にお参りできるのが嬉しいです。中でも白竜と金龍へのお参りは人気があるようです。
神気に満ち溢れた場所でした。大好きになりました。また来ます。


拝殿
立派です

拝殿の天井装飾が素敵です

本殿
県の重要文化財

境内で流れていた本殿の映像を撮った写真
装飾はかなり凝ったものですね。重要文化財も頷けます

境内で流れていた本殿の映像を撮った写真
建てられた当時はこんな感じだったと言うことだと思います

一の鳥居
東山公園を東に抜けると この素敵な鳥居がどーんと現れるので少し感動します

神気溢れる参道です。何度も往復したくなります。

二の鳥居

随神門
市の重要文化財

玉満稲荷神社

三勲神社

社少宮

境内


お参りして振り返った景色

白龍神
人気のお参りスポットです


金龍神
人気のお参りスポットです



さざれ石

坂中荒神社
市の重要文化財



天満宮

三勲神社


護国神社から車で、ほんの数分で到着しました。
駐車場への道は狭く急なのですが、一方通行のようで、安心して進むことができました。
拝殿では、うさぎ年ということだと思うのですが、大きな兎に出迎えていただきました。別の年にも参拝したくなる演出でした。また、境内案内板は、タッチパネル式のデジタルサイネージでした。本殿裏からは、岡山市内も望めまた、参道を降りると、市電の東山駅も望めたのですが、ちょうどチャギントン号が到着したところで、赤い車体も望めました。
駐車場は、北東側の車参道入り口から入ると、山上に用意されておりました。

鳥居

狛犬

隋神門

境内

境内案内板

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