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いせじんじゃ

伊勢神社
岡山県 西川原駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境内にあり

その他の巡礼の情報

元伊勢(吉備名方濱宮)

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神祇伯
神祇伯
2025年03月31日(月)
1583投稿

備前国御野郡の式内論社であり、豊鍬入姫命さまが天照大神の鎮座地を探して巡り、滞在した「吉備名方濱宮」に比定される元伊勢の一つです。この地に岡山城を築き、その周りに城下町ができた際にその総鎮守として祀られ、この地域では最も古い神社として崇敬されています。

伊勢神社(岡山県)

《鳥居》
明神鳥居ですが島木が柱から飛び出ていません。この形式を隣国美作国の一宮である中山神社などで見られるため、「中山鳥居」とも呼ばれます。

伊勢神社(岡山県)

《社号碑》
この左手に駐車場があります。

伊勢神社(岡山県)

《手水舎》
水は流れています。洗ひつるここも…(略)

伊勢神社(岡山県)

《拝殿》
👁チェックポイント‼️
備前岡山藩主の池田光政公から300石という寺社領最大の奉納を受けており、さらに伊勢の神宮の神主による運営から備前国内の神職総領を担っていたという、かなりの厚遇措置と崇敬を受けていました。武家政権下においても伊勢の神宮の影響力を感じることのできる歴史の深い神社です。

伊勢神社(岡山県)

《扁額》🙏

伊勢神社(岡山県)

《稲荷神社》
内宮と同じくあります。いつもお世話になっておりま(🤛

伊勢神社(岡山県)

《拝殿》
こちら逆に夕陽が眩しい…

伊勢神社(岡山県)

《おネコさま》
あ、どうも、お邪魔してます。
猫宮司がいるということですが、御朱印を受けた際に猫が逃げるのでと扉を閉めたので多分この方ではないはず。いや、神社の人に知られずに脱走する技を身につけているのか…!?

伊勢神社(岡山県)

《絵馬掛け》
まさかの神馬の前にあるとは…

伊勢神社(岡山県)

《十五末社》
合祀された神社の社名が扁額に並んでいます。

伊勢神社(岡山県)

《稲荷神社②》
この地域は寺系稲荷の二大巨頭である最上稲荷の影響があるのでしょうね。

伊勢神社(岡山県)

《天満宮》
梅の木が植えられてどなたが祀られているか一目で分かります。

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歴史

 当社は、第10代崇神天皇の御代皇女豊鋤入姫命が御創建になり、元伊勢として二千有余年の歴史をもち、式内社として栄え、室町時代の頃迄は備前岡山の氏神として崇敬篤く、境内地も現在の弘西学区全域に及んでいた。
 その後、他の神社も創建され、人々も移住し、城下町が形成され、現在の氏子地域が出来上った。
 安土桃山時代以後は、宇喜多、池田両藩主の崇敬殊に篤く、池田光政公以後明治維新まで備前藩寺社領としては最高の300石を賜わり、伊勢宮神官を以って備前国神職総頭の職を拝命され、備前藩又は池田家の祭事一切が伊勢宮神官の手によって執り行われ、現在も続いている備前の国で最も由緒のある神社である。
 また、伊勢宮には、300年前から「御神事」という祭事が執り行われている。この御神事は、文禄元年宇喜多秀家が秀吉の命を受け、「征韓の役」の出陣に先立ち具足甲胄に身を固め、藩主以下総勢が行列を整え、藩旗、弓、槍、鉄砲等を持ち、伊勢宮に戦勝祈願に詣でた形を後世神事として祭儀の中に取り入れて行われたのが起源である。
 明治初年の頃までは、神馬、弓、槍、具足甲胄を身につけ執り行われていた。伊勢宮の氏子は、武士と町人が半々であったため、御神事は主に商家である小畑町、上出石町、中出石町、下出石町(下出石町は現在岡山神社の氏子である)の四町内が順番に奉仕していた。
[岡山県神社庁HP当神社ページ由緒書きより]

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伊勢神社の基本情報

住所

岡山県岡山市北区番町2-11-20

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

伊勢神社

読み方

いせじんじゃ

通称

伊勢宮

参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印の郵送対応なし

電話番号086-222-5018
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 天照皇大神
 豊受大神
《配祀神》
 栲幡千千姫命
ご神体不詳
創建時代垂仁天皇の御代
創始者豊鋤入姫命 
本殿三間社流造
ご由緒

 当社は、第10代崇神天皇の御代皇女豊鋤入姫命が御創建になり、元伊勢として二千有余年の歴史をもち、式内社として栄え、室町時代の頃迄は備前岡山の氏神として崇敬篤く、境内地も現在の弘西学区全域に及んでいた。
 その後、他の神社も創建され、人々も移住し、城下町が形成され、現在の氏子地域が出来上った。
 安土桃山時代以後は、宇喜多、池田両藩主の崇敬殊に篤く、池田光政公以後明治維新まで備前藩寺社領としては最高の300石を賜わり、伊勢宮神官を以って備前国神職総頭の職を拝命され、備前藩又は池田家の祭事一切が伊勢宮神官の手によって執り行われ、現在も続いている備前の国で最も由緒のある神社である。
 また、伊勢宮には、300年前から「御神事」という祭事が執り行われている。この御神事は、文禄元年宇喜多秀家が秀吉の命を受け、「征韓の役」の出陣に先立ち具足甲胄に身を固め、藩主以下総勢が行列を整え、藩旗、弓、槍、鉄砲等を持ち、伊勢宮に戦勝祈願に詣でた形を後世神事として祭儀の中に取り入れて行われたのが起源である。
 明治初年の頃までは、神馬、弓、槍、具足甲胄を身につけ執り行われていた。伊勢宮の氏子は、武士と町人が半々であったため、御神事は主に商家である小畑町、上出石町、中出石町、下出石町(下出石町は現在岡山神社の氏子である)の四町内が順番に奉仕していた。
[岡山県神社庁HP当神社ページ由緒書きより]

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