あめのやすかわらぐう
天安河原宮のお参りの記録一覧
御祭神 思兼神 八百万神
天照大御神が天岩戸に御籠もりの際に、神々が相談したところとされています。が、雰囲気的には、この洞窟に御籠もりされたと勘違いしている観光客がいるのでは?とにかく、人が多かったです。
しめ縄の右から七五三は、天岩戸と同じでした。
すごい人の列でした。
河原の小石はすべてというほど願いをこめて積み重ねられていました。私の地方では、死んだ子供を思ってする風習なので(賽の河原)少し恐く感じました。
天岩戸神社の境外社で、天照大御神さまが岩戸に引き篭もってしまった際の、八百万の神々が集って大会議をされたという大洞窟に鎮座しています。
古代の祭祀場を思わせるような川近くの岩窟よ暗がりと、その周りを取り囲むように聳え立つ石積みの塔はまた違った雰囲気を醸し出していました。
《表参道》
天岩戸神社の西本宮奥から続いています。
川面近くまで降って行きますよ。
この川のせせらぎ…じゃないな。激流音が逆に涼しく感じます。
結構な人たちが参拝に来てます。
《河原付近》
賽の河原かと思わせるほどに石が積まれています。
増水したら普通に流されるくらいの高さですよねこれ…
《鳥居と本殿》
👁チェックポイント‼️
鳥居も社殿もあり、御朱印さえも用意されているのですが、何故かHP上では神話上で言及される他は一切祭事の情報も何もありません。一応石には積み方と積んで祈願を行う慣習があるとのことですが、これも50年前からだそうで、神社全体の歴史に対してはかなり新しいといえます。
《本殿付近の河原》
というか自然すぎてあんま考えてなかったんですけど、ここ神社ですけど賽の河原って三途の川の付近なので分類上は仏教に由来するはずなんですよね…日本人こういうところ曖昧なままにしちゃうから…
というかよくこれだけ積んで崩れてないなぁ…
《境内》
パワースポットとして取り沙汰されているためかこちらの方が人が集中しているような気がします。
天岩戸神社西本宮を参拝後に向かいました。案内板があるので迷わずに行くことができます。
天岩戸に閉じこもってしまった天照大神をどうやったら外に出せるかって会議をしたという天安河原。世の中に光が無くなって困っていたんでしょうが、岩戸の前で楽しく踊ったら岩戸からそーっと天照大神が顔を出したところをひっぱり出したという伝説。この会議が開かれた場所がパワースポットとなるのは、いろんな神様が集まって考えを巡らせたからなんでしょうかね😋
太鼓橋を渡って行きます。ここで願い事をすると良いそうですよ。
道中は小川が流れていて、心地よいです。
着きました。こんな場所が自然に出来るなんて不思議ですよねー。かなり大きいです。
鳥居の奥には社殿があります。
天岩戸神社西本宮の社務所で直書きして頂きました。
【日向國 古社巡り】
天安河原宮(あまのやすかわらぐう)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸の天岩戸神社の境内にある神社。祭神は、思兼神(おもいのかね)、八百萬神(やおよろず)。「天安河原」の別名は「仰慕ヶ窟(きょうぼがいわや)」。
『古事記』および『日本書紀』(記紀)によると、天照皇大神が天岩戸に籠り天地暗黒となった時に、八百萬の神が天安河原に集まり神議り(かむはかり)になった。「天安河原」はこの霊蹟で、かつては社があるのみであったが、昭和戦後のいつからか「願いを込めて小石を積むと願いが叶う」との風習が広がり信仰されるようになっている。
この霊蹟は「天岩戸」を奉斎する天岩戸神社の境内にあるが、記紀には天照皇大神が素戔嗚尊の粗暴な所業を受けてこの「天岩戸」に引きこもったとしており、「天岩戸」はその霊蹟となっている。
当宮は、JR日豊本線・延岡駅の西北道のり37kmほどの、岩戸川の河原の岩窟。天岩戸神社の西本宮の北方500mほどの場所にある。岩戸川に沿って南北に走る県道7号線上に入口があって、岩戸川の河原まで降りて行くが、足場は綺麗に舗装されており安全。川の流れを眺めて楽しみ、キレイな空気を味わいながら歩くと10分足らずで岩窟に到着する。間口40mで奥行30mのサイズ感は、思ったよりも小さい感じ。ここに八百万の神々が集まったとすると、神様は皆さん割と小柄だったのかな笑。あとやっぱり気になるのは、無数に散らばっている石積みの塔。最近70年の流行りとのことだが、これがなかなか壮観。
今回は、あまりにも有名で人気の神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後やや遅めの時間で、自分たち以外にも参拝者がぱらぱらと訪れていた。
※御朱印は、天岩戸神社の社務所にて拝受できる。
県道沿いの<入口>。ここには軽食店や土産物屋が数軒ある。
参道は意外にもちゃんと整備されている。
参道途中にあった小祠。
やがて階段を下って行くと、、、
岩戸川が見えてくる。
川沿いを北上していくと、途中橋を渡る。
どこから運ばれてきたのか、川底には巨大な岩がごろごろしている。
川岸自体が巨大な岩でできている場所もある。
およそ10分ほどの散歩で、お目当ての<天安河原>に到着。
岩窟に入って行く。
天然木をそのまま使ったような<鳥居>。
<社殿>全景。燈籠も立っている。
<社殿>正面。特に扁額、表札などはない。
社殿前から振り返った眺め。
事前情報の通り、石積みの塔が無数にある。
<社殿>は斜めから見るとこんな感じ。
天安河原宮の前の河原。大きな岩がごろごろ。
最後にもう一度、社殿方向を見る。
帰り道、冬の夕方の弱い日差しが岩戸川を照らす。(^▽^)/
今回の記紀旅の最後は西本宮から岩戸川を500mほど遡った所にある河原で、日本神話に登場する岩戸隠れの際に八百万の神々が集まって相談した場所であると伝えられている。河原の中央部にある仰慕窟(ぎょうぼがいわや)と呼ばれる洞窟には天安河原宮があり、思兼神を主祭神として八百萬神が祀られている。現在、この付近では「願いを込めて小石を積むと願いが叶う」として多数の石積みがみられる。
「岩戸隠れ」は、神々が住む高天原(たかまがはら)で、乱暴を繰り返した須佐之男命(すさのおのみこと)に怒った姉の天照大御神が天岩戸に隠れる場面から始まる。
太陽の神である天照大御神が隠れたことで、世界は闇に包まれ、あらゆる厄災に襲われる。困り果てた八百万(やおよろず)の神々は天安河原(あまのやすがわら)に集まり、話し合った。
議論をリードしたのは、知恵の神とされる思兼神(おもいかねのかみ)で、当初は鶏の鳴き声で呼び出そうとしたが失敗し、最後に思いついたアイデアが「踊り」だった。
古事記によると天鈿女命(あめのうずめのみこと)は、伏せた槽(おけ)を踏み鳴らしながら半裸状態で踊り、それを見た神々は大笑いし、盛り上がったという。神がかり状態だったという踊りは、シャーマンを思わせる。また、この場面が、日本の踊りの始まりとされる。
神話では、神々の盛り上がりに気を取られた天照大御神が岩戸の扉を少し開け、最後には天手力男神(あめのたぢからおのかみ)に引き出される。この際、ほうり投げられられた扉が、現在の戸隠山(長野県)付近に落ち、山を作り出したとの伝説も残る。
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