むろうじ
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楽しみ方室生寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年05月03日(日) 15時10分35秒
参拝:2026年4月吉日
女人高野と呼ばれている室生寺を訪れたました。見どころいっぱいのお寺さん。でも、ヘトヘトです。


門前に連なる茶店や旅館を過ぎると、室生川の清流に朱塗りの反り橋が架かっています。「太鼓橋」と呼ばれるこの橋を渡ると室生寺の境内です。

太鼓橋(上の橋)この太鼓橋は昭和34年の伊勢湾台風で流され再建されたものです。

室生川

太鼓橋を渡った先に表門が見えてきます。

表門 通常は閉鎖されており、参拝者は右手の参道を通って仁王門側の受付へ向かいます。
石柱の上部には、九目結紋(ここのつめゆいもん)という家紋が彫られている。これは、江戸時代の中期に、五代将軍・徳川綱吉の生母であった桂昌院の寄進により、室生寺の堂塔が修繕されたことによるものという。
石柱の上部には、九目結紋(ここのつめゆいもん)という家紋が彫られている。これは、江戸時代の中期に、五代将軍・徳川綱吉の生母であった桂昌院の寄進により、室生寺の堂塔が修繕されたことによるものという。

みんな見てまわると、1時間から1時間30分ぐらいかかるかな。

寶物殿
2020年9月5日、十一面観音菩薩立像や釈迦如来坐像、地蔵菩薩立像、十二神将ほか、室生寺が収蔵する宝物の数々を公開する「寶物殿」が開館した。それまで未公開だった宝物も見られるのでぜひ訪ねてみてください。
2020年9月5日、十一面観音菩薩立像や釈迦如来坐像、地蔵菩薩立像、十二神将ほか、室生寺が収蔵する宝物の数々を公開する「寶物殿」が開館した。それまで未公開だった宝物も見られるのでぜひ訪ねてみてください。

仁王門
元禄に一度焼失し、その後長い間姿を消していたが、昭和40年(1965)に再建された重層の楼門。
元禄に一度焼失し、その後長い間姿を消していたが、昭和40年(1965)に再建された重層の楼門。

赤仁王

青仁王

バン字池
梵字の「バン」の形をしており、大日如来を表している。
梵字の「バン」の形をしており、大日如来を表している。

室生寺の名所の一つである「鎧坂」
自然石が積み上げられた階段の様子が、編み上げた鎧の様に見えることからこの名がついたという。
自然石が積み上げられた階段の様子が、編み上げた鎧の様に見えることからこの名がついたという。

訪れた時は石楠花(シャクナゲ)が見頃でした。

鎧坂の途中にある弁財天社

さらに鎧坂を登ります。

金堂(国宝)
平安時代初期の建築。手前の高床の部分は江戸時代に建て増しされた。
平安時代初期の建築。手前の高床の部分は江戸時代に建て増しされた。

金堂
正面側面ともに五間の単層寄棟造りで、屋根はこけら葺きになります。
正面側面ともに五間の単層寄棟造りで、屋根はこけら葺きになります。

金堂の内陣には、中心は釈迦如来立像、右手に薬師如来立像、左手に文殊菩薩立像。

釈迦如来立像(国宝)平安時代初期
薬師如来立像(重文)平安時代初期
文殊菩薩立像(重文)平安時代初期
薬師如来立像(重文)平安時代初期
文殊菩薩立像(重文)平安時代初期

釈迦如来立像
平安時代初期を代表する榧の一木造りで、均整のとれた堂々とした姿である。朱色の衣は流れるような独特の衣紋で、漣波式と呼ばれる。光背は華やかな繧繝彩色が用いられ、印相が同じ七仏坐像と宝相華や唐草文が描かれている。
平安時代初期を代表する榧の一木造りで、均整のとれた堂々とした姿である。朱色の衣は流れるような独特の衣紋で、漣波式と呼ばれる。光背は華やかな繧繝彩色が用いられ、印相が同じ七仏坐像と宝相華や唐草文が描かれている。

金堂から望む弥勒堂

弥勒堂

弥勒堂(重要文化財)鎌倉時代
三間四方のこけら葺きの堂は、修圓が興福寺に創設した伝法院を受け継いだものと伝える。須弥壇中央の厨子に安置された弥勒菩薩立像(重文)は、奈良時代末から弥壇下と天井から宝篋印塔型の木製小塔である籾塔が多数発見された。
三間四方のこけら葺きの堂は、修圓が興福寺に創設した伝法院を受け継いだものと伝える。須弥壇中央の厨子に安置された弥勒菩薩立像(重文)は、奈良時代末から弥壇下と天井から宝篋印塔型の木製小塔である籾塔が多数発見された。

天神社拝殿

天神社

軍荼利明王
密教において宝生如来の教輪転身とされており、さまざまな災いを取り除いてくれるという。一般的には腕を8本に表現されることが多いが、この「軍荼利明王石仏」の腕は10本。
この場所に巨岩があること、また軍荼利明王が彫られていることについての詳細は不明だが、4年に一度、庚申の日に町の人々がこの「軍荼利明王石仏」を拝みに来ることが、この地域の習わしになっているという。
密教において宝生如来の教輪転身とされており、さまざまな災いを取り除いてくれるという。一般的には腕を8本に表現されることが多いが、この「軍荼利明王石仏」の腕は10本。
この場所に巨岩があること、また軍荼利明王が彫られていることについての詳細は不明だが、4年に一度、庚申の日に町の人々がこの「軍荼利明王石仏」を拝みに来ることが、この地域の習わしになっているという。

本堂

本堂(灌頂堂)(国宝)鎌倉時代

本堂
延慶元年(1308)建立。真言密教の重要な儀式、灌頂(かんじょう)を行う真言宗寺院にとって中心的な建物。本尊の如意輪観音坐像は平安時代の作で、日本三如意輪観音のひとつ。
延慶元年(1308)建立。真言密教の重要な儀式、灌頂(かんじょう)を行う真言宗寺院にとって中心的な建物。本尊の如意輪観音坐像は平安時代の作で、日本三如意輪観音のひとつ。

本堂
五間四方の入母屋造りで、内陣と外陣は板扉で仕切ることができる。和様と大仏様の折衷建築様式である。
五間四方の入母屋造りで、内陣と外陣は板扉で仕切ることができる。和様と大仏様の折衷建築様式である。

本堂
本尊 如意輪観音菩薩像 平安時代 重要文化財
木像 像高78.7㎝
灌頂堂内陣の厨子に安置。榧の一本造りで穏やかな作風である。
観心寺(大阪府)、神咒寺(兵庫県)の如意輪観音とともに日本三如意輪と称される。
本尊 如意輪観音菩薩像 平安時代 重要文化財
木像 像高78.7㎝
灌頂堂内陣の厨子に安置。榧の一本造りで穏やかな作風である。
観心寺(大阪府)、神咒寺(兵庫県)の如意輪観音とともに日本三如意輪と称される。




















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