やたがらすじんじゃ
八咫烏神社
公式奈良県 榛原駅
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
初代天皇である神武天皇を助け導いた「八咫烏」を祭る神社。
神社にお参りの際には、ご祭神はもちろんのこと、太古の昔から続く自然やこの神社を守り伝えてきた先人たちの想いにも心を寄せていただければ幸いです。
大和国宇陀郡の式内社です。神話で神武天皇さまを大和国まで導いた八咫烏(建角身命)さまを祀ります。
八咫烏が動物なせいで神使のイメージが強いですが、れっきとした神様なんですよね。
《一の鳥居》
《二の鳥居》
この前に駐車場があります。
《表参道》
《手水舎》
水は流れています。柄杓なしで洗えるように設置されていますね。
《外拝殿》
土間式になっています。
《獅子像》
《由緒書き》
👁チェックポイント‼️
この八咫烏神社は吉野に近いので朝廷が南北朝に分かれたとき、南朝の後醍醐天皇さまから篤い崇敬を受けていました。
しかし南北朝が統合されたあとに衰退してしまい廃絶しかけていたところ、下鴨神社の神官によって再興されました。
歴史的にも同じ神様を祀る神社の連携プレーが垣間見ある瞬間でした。
《賽銭箱》
箱の中には書き置きの御朱印が準備されていました。
《参道》
《本殿》
本来は石造でしたが、下鴨神社による再興時に春日造となりました。
《八咫烏像》
現在もサッカー日本代表のエンブレムに八咫烏がかかれています。日本を代表する神鳥として現在も扱われている証拠ですね。
・社史・社伝、言い伝えなどによる創建に関する経緯、歴史的な背景など
当社は延喜式神名帳記載の式内社で、我が国の草創期の正史のひとつである『續日本紀』に文武天皇の御代 「『慶雲二年(西暦705)九月丙戌』、『大倭國宇太郡』に『八咫烏社』を祭る」と記述が見え、これが当社の創祀とされています。御祭神は建角身命(たけつぬみのみこと)です。建角身命とは伝承によると、神武天皇が大和へ東遷する折、熊野の山中で停滞する一行を大和へと道案内し、天皇の勝利に貢献した「八咫烏」の化身と伝えられています(余談ですが、当社境内から東の方角にある山を伊那佐山といい、この山も神武東征伝説の舞台となっています)。このような御由緒から古来、軍神として崇敬され、南北朝時代には後醍醐天皇の篤い信仰により社は大いに栄えたと伝えられています。(※1)
しかし、南朝の衰退と度重なる戦禍に見舞われて以後、江戸時代中期まで廃絶寸前の状態となり、社の衰微にともなって、いつしか「をとごろす」という俗称が残ったほどだと伝えられています。(※2)
やがて、江戸時代文政年間に京都の下鴨神社(賀茂御祖神社)の神官の目にとまり、その働きかけと在郷有志の協力により再興されました。本殿が現在のような春日造に作り替えられたのもこの頃とされています。
その後、大正三年の神社合祀令により近隣の鎮守の神様が当地で祀られることになったため、にわかに再興しました。また、昭和の時代になって紀元2600年を記念し、県社に昇格するのにともない神域の拡張と整備が行われました。以降、現在へと至ります。
※1「八咫烏神社略縁起」文政十三年庚寅年、藏人民部大丞兼左兵衞大尉大江朝臣俊常
※2「和州舊跡幽考」延寶九年、林宗甫
住所 | 奈良県宇陀市榛原高塚42 |
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行き方 | 電 車=近鉄大阪線 榛原駅下車、奈良交通バス「菟田野」行き「高塚」バス停下車、徒歩約3分
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名称 | 八咫烏神社 |
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読み方 | やたがらすじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
メールアドレス | info@yatagarasujinja.net |
ホームページ | http://www.yatagarasujinja.net/ |
SNS |
ご祭神 | 建角身命(八咫烏大神) |
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創建時代 | 705年(慶雲二年) |
本殿 | 春日造 |
ご由緒 | ・社史・社伝、言い伝えなどによる創建に関する経緯、歴史的な背景など
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体験 | 祈祷お祓いお宮参り七五三御朱印お守り祭り伝説 |
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